てのひら》に載せてやりました。
「有難え、ありがてえ」
惣太はおしいただいて、また少し行くと、今度はその後ろ影を見ていた金蔵が何か思い出したように、
「惣太さん――」
「何だい」
「お前、鉄砲を持ってるね」
「猟師に鉄砲を持ってるねと念を押すのもおかしなものだね、この通り持ってるよ」
「その鉄砲というやつは、素人《しろうと》にも撃てるものかい」
「そりゃ、撃てねえという限りはねえが」
「どのくらい稽古したら覘《ねら》いがつくんだい」
何を考えたものか金蔵は、それから毎日のように岩坂の惣太が家へ鉄砲の稽古に出かけます。
惣太の鉄砲を借りては的《まと》を立てて、しきりにやっているので、少しずつは物になります。今日は三発とも的に当てたので、得意になって、四発目に裏山の樅《もみ》の枝にたかっていた鴉《からす》に覘いを定めて切って放つと見事に失敗《しくじ》って、鴉は唖々《ああ》とも言わず枝をはなれてしまったから、
「駄目駄目」
惣太は傍から、ニヤリニヤリと笑い、
「生き物は、まだ早い」
「それでも鴉ぐらい」
金蔵は口惜《くや》しそうです。
「鴉ぐらいがいけない、鴉ほど打ちにくい鳥はないのだ、鴉が打てたら、鉄砲は玄人《くろうと》だよ」
「そうかなあ。いったい、鳥では何が打ちよいのじゃ」
「そうさ、お前さんの打ちよいのはそこにいる」
「ばかにしている、あれは鶏じゃないか、雉子《きじ》か山鳩あたりをひとつ、やってみたいな」
「雉子《きじ》をひとつ、やってごらんなさい、二三日うちに山へつれて行って上げます」
「雉子が打てれば占めたものだ、それから兎、狸、狐、猪、熊――」
「そうなると、こちとら[#「こちとら」に傍点]が飯の食い上げだ。しかしこの間、曾爾《そに》の山奥では、猪と間違えて人を打った奴があるそうだ。金さん、お前もそんなことになるといけねえから、わしの見ぬところで煙硝《えんしょう》いじりは御免だよ」
「猪と間違えて人を撃つのは勘平《かんぺい》みたようなものだが、惣太さん、人を撃つのはよっぽどむつかしいものかい」
「俺も永年、猟師をやっているが、まだ人間を撃ったことはねえ……」
十二
夜も四ツに近い頃、三輪明神の境内には、もはや涼みの人もまれになった時分、「おだまき杉」の下に、一つの黒い人影があります。
手に持っていた小さい徳利《とくり》を下に置いて、鑿《のみ》のようなもので、しきりに杉の根方《ねかた》を突っついていました。いいかげんに突っついてみてから、その徳利を穴へあてがってみて、また突っつき直します。杉の根方は、盤屈《ばんくつ》して或いは蛇のように走り、或いは蟇《がま》のような穴になっている、その間を程よくとり拡げて、徳利を納めるために他目《わきめ》もふらず突っついていましたが、ふいと、また一つの物影が、地蔵堂の方からゆっくりと歩んで来て、この「おだまき杉」近くまでやって来たのにも気がつかないようです。このゆっくりと歩んで来たというのは、誰であるか直ぐにわかる。それは、寝る前に必ずひとたびは、明神の境内をめぐって歩く植田丹後守であります。
丹後守は、いま「おだまき杉」の近くへ来て、ふと、根方を突っついている忍びの人影を見つけたので歩みを止めて、何者が何をするかと、しばらく闇の中から、立って見ていました。
丹後守の歩き方は、まことに静かで、草履《ぞうり》をふんで歩く時は、歩く時も、止まる時も、さして変りのないほどでしたから、根方の人は少しも気がつきません。
しばらく見ていたが、つかつかと丹後守は近寄って、
「金蔵ではないか」
「はい――」
物影は非常なる驚きで、バネのように飛び上ったのでしたが、わなわなと慄《ふる》えて逃げる気力もないもののように見えます。
「何をしている」
丹後守は、押して穏かに問う。
「へえ……へえ」
「それは何じゃ」
人影が藍玉屋の金蔵であることは申すまでもありません。
丹後守に指さされたのは金蔵が、幾度も穴へ入れたり出したりしてみた、かの徳利でありました。
「へえ……これは……」
「これへ出して見せろ」
「へえ、これでございますか……これは」
金蔵はおそるおそる徳利を取って、丹後守の前へ捧げます。丹後守は、手に取り上げて見ると徳利のように見えても徳利ではありません。長さおよそ一尺ぐらい、酒ならば一升五合も入るべき黒塗り革製の弾薬入れであります。
「金蔵、これはお前のか」
「はい……」
「お前は、鉄砲を持っているか」
「いえ……人から借りました」
「借りた――飛び道具は危ないものだぞ、これはわしが預かる」
「へえ……」
「もう、あるまいな、まだこんな物が家にあるか」
「もう、ありませぬ」
「よし」
丹後守は弾薬入れを取り上げて、小言《こごと》も何も言わずに行
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