りに愛《め》でて不祥《ふしょう》するわ。時に貴殿のは」
竜之助の武蔵太郎、これも如法《にょほう》に見納めて、
「切れそうだ、だいぶ血を嘗《な》めとるな」
「今日も一つ、嘗め損《そこの》うた」
「それはこっちの言うことじゃ」
二人は面を見合って笑う。壮士のは、明けっ放しの笑い方、竜之助のは苦笑い。
「なんにせよ、二つの獲物《えもの》を取って押えたのは俺《わし》が棒の手柄」
商人体の変人は、座敷の隅の棒を横目で見ながら言い出すと、壮士は、
「あれは何だ、不思議な棒だな」
「このごろ大阪の相撲どもが、毛唐《けとう》の足払いと名づけて拵《こさ》えよる、それを一本貰うて来た」
「ドレ、見てやる」
壮士は、立ってその棒をさげて来た――これは力士小野川が水戸烈公の差図《さしず》により、次第によらば攘夷《じょうい》のさきがけのためとて、弟子どもに持たせた樫の角棒。
うちとけて三人は飲み合って、最初になすべきはずのを、いざ別るる時になって名乗り合ってみると、壮士の言うには、
「拙者は薩州の田中新兵衛」
田中新兵衛は飄然《ひょうぜん》として、どこへか行ってしまった。
あとに残ったのは竜之助と、かの変人、実は変人でも愚物《ぐぶつ》でもない、水戸の人で山崎|譲《ゆずる》。新徴組の一人で、香取《かとり》流の棒をよく使います。竜之助とは江戸時代からの知合いで、はからずあの場へ来合わせて仲裁を試みたもの。
田中去って後、竜之助と山崎とは水入らずの旧知で、
「時に吉田氏、その後の雲行《くもゆき》は、いよいよ穏かでないぞ」
「うむ、そうか」
「清川八郎が手で、新徴組の大部が江戸へ帰ったことは聞いたか」
「それは聞いた、横浜の毛唐《けとう》を打ち攘《はら》う先鋒《せんぽう》とやら」
「清川は食えぬ奴、なんというても新徴組第一の人物」
「そうかも知れぬ」
「毛唐を打つというも、実は江戸で事を挙げる、新徴組をダシに使うて幕府を覘《ねら》う奴じゃ」
「なるほど、あいつは放《ほ》っておいたら、えらいことをしかねない」
「芹沢、近藤、土方など、幾度もあいつが首を覘うたが、運が強い」
「うむ」
「ところが、天運めぐりめぐって、ついこの間、首尾よく清川を討ち止めた」
「ナニ、清川が殺された?」
「いかにも。芝の赤羽橋で、速見又四郎、佐々木只三郎らの手で、見事にしてやられた」
「やつも、千葉の高弟で手は利《き》いていたはずだが」
「佐々木も速見も聞ゆる使い手じゃ、多勢で不意をやられてはたまるまい」
「うむ――そうすると新徴組は瓦解《こわれ》たか」
「壊《こわ》れはせぬ、二つに割れた。最初、江戸から京都《こちら》へ上ったのは総勢二百五十人、それは大方、今いう清川が手で江戸へ帰って、残るは芹沢と近藤を頭に十四人」
「うむ、僅か十四人――」
「それが中堅となって、新たに新撰組というのを立てた、もとの新徴組の返り新参もある、諸国から腕節《うでぶし》の利く奴も集まる、壬生《みぶ》の南部屋敷に本営を置いて、芹沢鴨と近藤勇を隊長に、土方歳三と、新見錦山と南敬助とが副将じゃ」
「そうか」
「拙者もこんな風《なり》をして、浪人どもの捜索と、腕の利いた同志を探しに歩いている。よい所で行き逢った、早速壬生へ行こう」
「待て、待て」
竜之助は、直ちに壬生へ走《は》せつけることについて、多少考えねばならぬことがある。
「芹沢と近藤との間柄はどうじゃ、二人とも無事に組んでいけるかな」
竜之助に言われて、山崎は眉根《まゆね》を寄せ、眼を光らかして、
「それだそれだ、そこの雲行きが危ないて」
「危ない?」
「どのみち、雨となるか風となるか、組の中にも芹沢派と近藤派とは、油と水じゃ。困ったものじゃて」
「生国《しょうごく》から言えば同じ武蔵、拙者は近藤派によしみが深い、しかし、芹沢には義理がある」
竜之助は思案の体《てい》です。
「うむ、拙者も生国は水戸じゃ。芹沢とは同国なれども、人物は近藤が一段上と思う」
山崎は、新撰組両隊長の器量を一寸《ちょっと》ばかり比べてみて、
「どうも、近藤派の方が、人望があるようじゃ、芹沢は乱暴でいかん、近藤は目先が見える、芹沢は人に嫌われる、近藤は人に怖れられる……ゆくゆく新撰組は近藤のものであろう、なりゆきに任せて、拙者は黙って見ている」
芹沢鴨は水戸の天狗党の一人です。芹沢鴨とは変名で、実は木村|継次《つぐじ》という。同じ水戸の山崎が見て、団扇《うちわ》を近藤に上げるところより見れば、双方の相違がおのずからわかるとも言える。
「いずれにしても、拙者は、これより壬生へ行くことは見合わせ、ほどよき宿をとって、ひそかに芹沢と会いたい、そうして身の振り方をきめる」
「そうか、まあゆっくり都見物でもするがよい、隊へ入ると気が忙しくなる」
「芹沢に、拙者が上って来たと伝えてくれ、近藤、土方には知らせたくない」
「よし、そう言おう。宿はどこへ取る」
「左様、目立たぬよう、然るべきところはないか、周旋を頼む」
「六角堂の鐙屋《あぶみや》というのを拙者は知っている、それへ紹介しよう」
「よろしく頼む」
こんな話をして酒を飲み合い、微醺《びくん》を帯びてこの茶屋を出ると、醍醐《だいご》から宇治の方面へ夕暮の鴉《からす》が飛んで行く。
「それはそうと吉田氏、京都へ入ったなら、滅多《めった》に刀は抜かぬがよいぞ、血の気の多いのがウヨウヨいる、今の壮士のような奴が」
「あの命知らずには驚いた」
「しかし、あんなのは珍らしい、全くの命知らずじゃ。そうそう、何と言ったかな、あいつの名前は」
「薩州の田中新兵衛と聞いた」
「田中新兵衛……そうか、覚えておくことだ、あんなのが好んで暗殺をやる。去年、四条磧《しじょうがわら》で九条家の島田|左近《さこん》を斬ったのも、まだ上らぬのじゃ」
「暗殺が流行《はや》るそうだな」
六
壬生《みぶ》の村から二条城まで、わざと淋しいところを選んで、通りを東に町を縫《ぬ》い、あてもなく辿《たど》り行く人影に見覚えがある。まだ前髪立ちの少年なるに、腰には厳《いか》めしき刀を差し、時々は扇子《せんす》の要《かなめ》を柄頭《つかがしら》のあたりに立てて、思い出したように町並《まちなみ》や、道筋、それから仰いで朧月《おぼろづき》の夜をながめているのは、いつのまにこの地へ来たか、その人は宇津木兵馬であることに疑いないのです。
世は混乱の時といえ、さすが千有余年の王城の地には佳気があって、町の中には険呑《けんのん》な空気が立罩《たてこ》めて、ややもすれば嫉刀《ねたば》が走るのに、こうして、朧月夜に、鴨川の水の音を聞いて、勾配《こうばい》の寛《ゆる》やかな三条の大橋を前に、花に匂う華頂山、霞に迷う如意《にょい》ヶ岳《たけ》、祇園《ぎおん》から八坂《やさか》の塔の眠れるように、清水《きよみず》より大谷へ、烟《けむり》とも霧ともつかぬ柔らかな夜の水蒸気が、ふうわりと棚曳《たなび》いて、天上の美人が甘い眠りに落ちて行くような気持に、ひたひたと浸《つ》けられてゆく時は、骨もおのずから溶ける心地《ここち》がする。朧月夜とはいうものの、四月もすでに半ば過ぎ、空のどこに月ありとも見えねど一帯に明るい。曇りにしては気分が軽い、霽《は》れにしてはしっとり[#「しっとり」に傍点]とした、都の春の宵《よい》の色としては、申し分のない夜でありました。
兵馬は橋の上へ来てから、大事なものを踏むように、わざとゆっくりゆっくり歩いています……朧月夜もふけて丑三《うしみつ》過ぎで、無論、人の通ることは宵から数えるほどしかなかったのですから、この深夜には誰《たれ》憚《はばか》るものもない、千金にも替え難き都の春の夜を一人占めにして歩いているようなものです。
京都に来ても兵馬は、ワザと罪なき人を斬ったり、喧嘩《けんか》を買って出たりすることはしなかった。暇があれば、壬生寺《みぶでら》の本堂に籠ったり、深夜、物騒《ぶっそう》な町を歩いてみるくらいのことで、いままでは至って無事でした。竜之助が悠々と、途中で道場荒しなどをやって、日数《ひかず》を多くかけて京都まで来る間に、兵馬は新徴組と共に、一直線にこっちへ来ていたので、京都の経験は兵馬の方が一月の余も上であります。
すべての消息から、竜之助が京都へ落ちたことは真実《まこと》である、京都で必ず探し当てる、これも兵馬が夜歩きをする一つの理由でありましょう。しかしながら、京都へ来てみて、天下の形勢というものを見たり、諸藩の武士の、国家を一人で背負《しょ》って立つような意気込みを見ると――兵馬はどうも、知らず知らず自分が大海《おおうみ》へ泳ぎ出したような心持もするのです。
兵馬はこの夜、浪人者が数人、隊をなして一つの駕籠を守って行くのを三条の通りで見かけました。その後ろ姿を見て、兵馬は合点のゆかぬ思いをしながら壬生の屯所《とんしょ》へ帰って来たのでありました。
「あれは組のうちでたしかに見た男」
夜歩きをして壬生へ帰った翌朝、隊長の近藤勇から使が来て、急に会いたいというから兵馬は、勇の前へ出ると、勇は刀架《かたなかけ》に秘蔵の虎徹《こてつ》を載せて、敷皮の上に、腕を拱《こまね》き端然と坐っていたが、兵馬を見る眼が、今日はいつもより険《けわ》しい。
「宇津木、もう夜歩きはならんぞ」
「は?」
勇は、兵馬の不審がる面《かお》を、上から見据えているのです。
「隊長、それは――」
「うむ、夜歩きをするな」
近藤の語気には含むところがある、何とも理由は明かさず、頭からガンと夜歩きを差止めて、まだ何か余憤があるようです。しかし言いわけをしても駄目である。近藤が言い出したら、これは是非の余裕がないことを知っていますから、兵馬は黙って控えている。
勇は筋骨質の人です、頬の骨は磐石《ばんじゃく》の如くに固く、額は剛鉄《あらがね》を張ったように強く、その間から光る眼玉に、どうかすると非常な優しみがあるが、少し機嫌《きげん》の悪い時は、正面《まとも》には見ていられない険しさ、ほとんど獰悪《どうあく》の色が現われてきます。もし誰か勇に会って、獰悪な眼の光を浴びせられたものがあるならば、その翌日の朝になると、その人は、必ずどこかの辻《つじ》に、二つになって斃《たお》れているのが例であります。兵馬はいま、勇が少しくその機嫌を損じていることを認めます。勇の怒りの怖るべきことをも知っています。しかしながら自分に疚《やま》しいことはない――今は弁解しても駄目であるが、おのずから事情のわかる時がある、事情がわかれば勇の気象《きしょう》はカラリと晴れる。そのことをよく呑み込んでいるので、
「心得ました、いかにも夜歩きは差控《さしひか》えます」
「よし」
兵馬は、これで自分の詰所《つめしょ》の方へ帰って来ます。
井戸側のところへ来ると、新撰組隊士が二人ほど、水を汲んで面を洗っていましたが、
「井村、昨夜は晩《おそ》かったな」
「うん、飛んだ寝坊をしちまった」
「どこへ出かけた」
「悪いところへ行った」
二人の話し合いを、兵馬が通りがけに、ふと耳に入れて気がつくと、あの井村の様子――昨夜の駕籠を守って行った浪人者のうちの一人によく似ている。
ここに一つの事件がある、それは新徴組の隊長芹沢鴨が、京都のある富家の女房を奪い来《きた》って己《おの》が妾《めかけ》同様にしてしまったことです。芹沢はじめその手に属するものの横暴は今に始まったのではないが、今度のやり方は強盗に類することであった。そうしてその話が兵馬の耳にまで入ったのは翌日のことで、兵馬はふと、前夜の夜歩きの時に見かけた浪人ども――それと芹沢が奪い来ったという町家《ちょうか》の女房との間に脈絡があるように思われてならぬ。ことにその浪人どものうちの一人は、たしかに芹沢配下の井村に違いないと思われるから、いよいよ以て奇怪に感じてその翌日、隊の門を潜《くぐ》ると、ちょうど出会頭《であいがしら》のように物置の方から出て来た井村。
「井村君」
兵馬が呼び留めると、
「や」
井村はギ
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