もの。
「あ、助けて下さい」
 お松は絶え入るばかり叫ぶ。芹沢はちょっと手をゆるめ、
「これ騒ぐな、何も怖いことはないではないか。泣くのか。何も泣くことはなかろう、明日の日、太夫の位を張ろうとするほどのお前ではないか」
「芹沢様とやら、お前は、新撰組の隊長でありながら、わたしのような弱いものを苛《いじ》めてどうなさいます、どうぞお許し下さいませ」
 お松は哀れみを訴えて虎口をのがれようと試みる。
「なんの、お前をいじめるものか、贔屓《ひいき》にしようというのじゃ、な、これから新撰組の隊長が、お前の後楯《うしろだて》になろうというのではないか」
「芹沢氏、何をしておる」
 この時はじめて、室|一重《ひとえ》にいた誰とも知らぬ一人が声をかけた。
「うむ、いや、取調べている」
 芹沢が、お松を見つけて苛《いじ》めつけているのを、さいぜんから見もし聞きもしていながら、今になってただ一語《ひとこと》、
「何をしておる」
 咎《とが》めた声は怖ろしく沈んだ男の声。芹沢も多少きまりが悪く、
「取調べている」
とごまかして、それでもお松を放そうとはしない。
「取調べが済んだら、早う御処分をなさい、大事
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