得た剣道の精妙が、成敗をよそに見て、志士の仮面をかぶった無頼漢退治《ぶらいかんたいじ》に当ろうというのであります。
 おりから関東武士の面目というものは、旗本の間にはなく、譜代大名の中にもなく、辛《かろ》うじて彼ら田舎武士《いなかざむらい》の間に残って、そして潮《うしお》の湧くような意気組みの西国武士に当ることになったのです。
 机竜之助の如きは、勤王家でもなし、佐幕党でもない、近藤、土方のような壮快な意気組みがあってでもない……大津を立って比叡颪《ひえいおろし》が軽く面《かお》を撫でる時、竜之助は、旅の憂《う》さをすっかり忘れて小気味よく、そして腰なる武蔵太郎がおのずから鞘走《さやばし》る心地がして、追分へかかろうとする時、ふいに後ろから呼び止める声がする。
「それへおいでの御仁《ごじん》、暫らく」
 顧みれば、筋骨|逞《たくま》しい武士が一人、静々と歩んで来る。ほかに人もないから、呼び留めたのは自分のことであろう。
「お一人旅とお見受け申す」
 黒の着物に小倉の袴で、高足駄《たかあしだ》を穿き、鉄扇を持った壮士。小刀の短いわりに、刀は四尺もあらんと思われる大きなのを横に差し、頭の頂
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