裕《よゆう》はなく、再び燈火がつくとそのまま碁を打ちつづける。夜明け方になってこの碁が済むと、井上は帰り平間は寝る。
南部屋敷を七兵衛が覘《ねら》った晩は、この室で行燈の火が消えたほかにはなんらの異状もなくて済んだが、その翌朝、平間重助は、昨夜碁を打った室に、ものすごい顔をして坐っている。
「平間氏」
障子を開いて身を現わしたのは、追分の松の下で棒を振った仲裁の人、一ぜん飯屋で七兵衛を不審がらせた小間物屋、まことは山崎譲。
「おお山崎君」
山崎は前夜の通り、無腰《むこし》のまま地味《じみ》な藍縞《あいじま》の商人|体《てい》で平間の前へ無造作《むぞうさ》に坐り、
「顔の色が悪いようだ」
「うむ、そうか」
「昨夜も、碁で夜明しをやったな」
「うむ」
平間の意気は沈んでいる。山崎が軽く話しかけるほど口が重くなる。
「どうした、おかしいぞ、今日は」
「山崎君、大変が出来《しゅったい》した」
「大変とは?」
平間は首を垂れた後、屹《きっ》と山崎の面《かお》を見て、
「山崎君、拙者の頼みを聞いてくれ」
「何だ、改まって」
「一生の頼みじゃ」
「一生の頼み? 真顔《まがお》で言うだけに気
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