、ついに足を払い得たものもなかったそうです。
月の宵《よい》、星の夜、真暗《まっくら》な闇の晩、飄々《ひょうひょう》として七兵衛が、この屋の棟遊びをやらかすことがある。秩父颪《ちちぶおろし》の烈しい晩など、サーッと軒を払って散る淅瀝《せきれき》の声が止むと、乾き切った杉の皮がサラサラと鳴る。ト、ト、トと、なずなを刻《きざ》むような音を屋根裏で聞くと、老人は眉をひそめて、
「七公、また悪戯《いたずら》をはじめやがったな」
七兵衛は、地上の物をとることが上手《じょうず》なように、水の中の物をもよく探ることができた。
七兵衛が、多摩川の岸の岩の上に立って、水の中を見ながら、それそこには鮎《あゆ》がいる、山魚《やまめ》がいる、かじか[#「かじか」に傍点]がいる、はや[#「はや」に傍点]がいる、おこぜ[#「おこぜ」に傍点]がいる、ぎんぎょ[#「ぎんぎょ」に傍点]がいる。それそっちへ行った、それこっちへ来たと独言《ひとりごと》を言っている。誰が見てもそんなものは一つも見えないのに、熟練な漁師が見てさえも見えないのに、岩の上からおりて来て、手を或る石の下へ入れると、その言った通りの方角で、言っ
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