先はお前の心任《こころまか》せ、江戸へ帰ろうと、こちらに留まろうと、文句は言わないつもりだが」
「身受けと申しましても、おじさん……」
「お金のことなら心配しなくてもいい、それはいくらかかろうとも承知の上だ」
「有難うございます」
 お松は、また涙を拭く。身受けをされて自由になることが、お松にとって嬉しくないことはない、もし帰るべき家があり、手をとって泣き合うべき親兄弟があるならば一層のこと。七兵衛にしても、この娘をつれて帰って、引合せてやる縁者《えんじゃ》があるとか、思い合う男に添わせてやるとかいう的《あて》があるならば、張合いがあるべきところだけれども、これを伯母のお滝に返してやろうか、または妻恋坂のお師匠様に預けようか――危ない危ない、ここに置くよりも危ない。そんなら、自分が引取って世話をしてやろうか――いつ首が飛ぶか知れない身、なお危ない危ない。
「おじさん、わたしは、もし身受けをしていただくようになりますれば、あの沢井という山の中へ引込んで暮します」
「なんだ、沢井へ……沢井の何というところへ」
「あの万年橋という橋の下に、水車の小屋がありますそうな、そこでお米を搗《つ》いた
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