「お前様が、あの太夫様に? それは太夫様ご存じのことか」
「いや、お眼にかかって申し上げたいことで、案内も存じませぬ故、宿へ着きますると早速《さっそく》これへ参りましたようなわけで」
「阿呆《あほ》らしい」
 女は軽侮《けいぶ》の色を現わして、
「太夫様が、知己《ちかづき》のない方に、そう容易《たやす》くお目にかかるものかいな、出直しておいでなされ」
 引込んでしまおうとするのを、七兵衛は、
「あ、もし、太夫様にお眼にかかれぬならば、あの、お松と申す女の子が、このお家に御厄介《ごやっかい》になっておりまするとやら」
「お松――」
「はい、このごろ関東から上りました女の子」
「おお、そんなことも」
 女は様子ありげな七兵衛の風情《ふぜい》を見比べて、なんと思ったか、急に打消して、
「そんなお方も存じませぬわいな」
「それは困った」
 七兵衛はやや当惑の色。女はそれを見て、いくらか気の毒の念を催したものと見え、
「お前さん、太夫様に会いたいとならば会うようにしてお会いなされ、ただいまは揚屋入《あげやい》りでお留守じゃ、あとで伝えておきましょう」
「はい、それでは後刻《ごこく》また伺います
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