ち灰屋《はいや》三郎兵衛に身受けされた二代目芳野の頃を全盛の時とすれば、祇園《ぎおん》の頭を持ち上げた時が、ようよう島原の押されて行く時であろう。
 そうして、この物語の時代、すなわち維新前後にパッとまた一花咲かせた。大小七十余藩の武士が一度に京都へ集まった時、さびれかかった日本遊廓の根元地が、またも昔の権威を盛り返して、他場所で遊んで不首尾をした時は帰参が叶《かな》わなかったけれど、島原での咎《とが》は帰参が叶ったという勢いでありました。

         八

 島原の木津屋という暖簾《のれん》のところへ、或る日のこと、百姓|体《てい》の男が旅姿で、
「少々、お頼み申します」
 これは裏宿七兵衛。
「お客さんか」
 眉を落して、小緞子《こどんす》の帯を前結びにした三十前後の女が暖簾をわけて姿を見せ、
「どちらから?」
「これはちと遠方から参りましたもので、御雪太夫《みゆきだゆう》さまのお館《やかた》はこちらでござりましょうか」
「はい、御雪様はこちらでありますが、あなた様はどなた」
「左様でござりましたか。私は関東の者でございますが、太夫様にちょっとお眼にかかりたくて上りました」
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