ござるの、「檜垣の間」はこれこれの故事で候《そうろう》の、西郷さんのお遊びの部屋は、いつもこの「松の間」の話の洩れないところにきめてあったの、西郷さんのお相手は小太夫といって、月照《げっしょう》さんと一緒に遊びに来られて、その相方《あいかた》は花桐太夫《はなぎりだゆう》であったなど、和尚もなかなか罪を造ったものだなと思わせる話までも聞かせてくれる。
日本の遊女町というものを、社会史上の一つの現象と見て、この後とうてい復活の望みのない日本色里の総本家の名残《なご》りのために、この島原の如きも、物好きな国粋(?)保存家が出て、右の角屋《すみや》、或いは輪違《わちがい》その他の一部の如きに相当の方法を講じておかないと、やがて社会史の一角に、多少の参考材料を失うかも知れない。それで、右の角屋の如きも二百七十年以前、島原始まって(すなわち寛永十八年、六条から今の地に移った時)以来の建築であって、そのほかにもこれに類するものがあるとしてみれば、時代の家屋の建築上からも一個の参考物であると、或る意味からこれを尊重する気になって、素見《ひやかし》に来た道楽者が思わず知らず社会学者となり考古学者となっ
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