そうしておもむろに間毎《まごと》の襖《ふすま》や天井などについて説明を求めてみると、前の柳北時代の柳橋の老妓のようなのが(多分、仲居《なかい》の功労を経たものであろう)別に誇るような色もなく、新来の田舎客のためによく説明の労をとる。
 第一を「御簾《みす》の間《ま》」と言い、第二が「奥御簾の間」、第三が「扇の間」で、畳数二十一畳、天井には四十四枚の扇の絵を散らし、六面の襖の四つは加茂《かも》の葵祭《あおいまつり》を描いた土佐絵。第四「馬の間」の襖は応挙、第五「孔雀《くじゃく》の間」は半峰、第六「八景の間」は島原八景、第七「桜の間」は狩野《かのう》常信の筆、第八「囲《かこい》の間」には几董《きとう》の句がある。第九「青貝の間」は十七畳、第十「檜垣《ひがき》の間」は檜垣の襖、第十一「緞子《どんす》の間」は緞子を張りつめる。第十二「松の間」は、十六畳と二十四畳、三方正面の布袋《ほてい》があって、吊天井《つりてんじょう》で柱がない、岸駒《がんく》の大幅《たいふく》がある。
 なお委《くわ》しく聞いてみると、間毎間毎にもいちいち由緒《ゆいしょ》と歴史とがあって、やれ「青貝の間」は螺鈿《らでん》で
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