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「島原はまはり土塀《どべい》にて甚だ淋し、中《なか》の町《ちょう》と覚しき所、一膳飯《いちぜんめし》の看板あり」
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とあって、それよりやや降《くだ》り、
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「島原の廓《くるわ》、今は衰へて、曲輪《くるわ》の土塀など傾き倒れ、揚屋町《あげやまち》の外は、家も巷《ちまた》も甚だ汚なし。太夫の顔色、万事祇園に劣れり」
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とは、天保の馬琴《ばきん》が記したものにある。
ましてや、それよりまた小一世紀を隔つる大正の今の時、問題の土塀もくずれ果てて跡方もなく、小店《こだな》には、日々に空家《あきや》が殖《ふ》えて、大店《おおだな》は日に日に腐ったまま立ち枯れて、人の住まなくなった楼の塗格子《ぬりごうし》や、褪《さ》め果てた水色の暖簾《のれん》に染め出された大きな定紋《じょうもん》が垢《あか》づいてダラリと下った風情《ふぜい》を見ると、「嵯峨《さが》や御室《おむろ》」で馴染《なじみ》の「わたしゃ都の島原できさらぎ[#「きさらぎ」に傍点]という傾城《けいせい》でござんすわいな」の名文句から思い出の優婉《ゆうえん》
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