、ここが大門で、それここに柳があるが、これが有名な出口の柳というものじゃ。入口にあっても出口という、これいかに。島原七不思議の第一はこれじゃ。中は昼より明るいぞ。一足入れば歌舞の天女、生身《しょうじん》の菩薩《ぼさつ》が御来迎《ごらいごう》じゃわい」
 島原|傾城町《けいせいまち》の夜は盛んなる眩惑《げんわく》を以て兵馬の眼の前に展開される。

         七

 島原の誇りは「日本|色里《いろざと》の総本家」というところにある、昔は実質において、今は名残《なご》りにおいて。
 今の島原は全く名残りに過ぎない。音に聞く都の島原を、名にゆかしき朱雀野《すざくの》のほとりに訪ねてみても、大抵の人は茫然自失《ぼうぜんじしつ》する。家並《やなみ》は古くて、粗末で、そうして道筋は狭くて汚ない。前を近在の百姓が車を曳いて通り、後ろを丹波鉄道が煤煙《ばいえん》を浴びせて過ぐる、その間にやっと滅び行く運命を死守して半身不随の身を支えおるという惨《みじ》めな有様であります。
 安永から天明の頃、江戸の俳諧師《はいかいし》二鐘亭半山《にしょうていはんざん》なるものの書いた「見た京物語」には、
[#こ
前へ 次へ
全121ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング