笑を浮べて寝ころんでいるのです。
「死ね、死ね、死にたい奴は勝手に死ぬがいい」
心の中では、こんなに叫んでいる。それでもなんだか、後からついて来るものがあるようです。
二
その晩は無事に寝て、翌朝、隣の室が騒々《そうぞう》しいので、竜之助は朝寝の夢を破られました。ああ、昨夜の男女の客は――惜しい宝を石に落して砕いたような気持がしないでもない。途切れ途切れの話と、すすり泣きの声を耳にしながら、ウトウトと寝入ってしまって、その後のことは知らない。隣の室では人が入ったり出たり、廊下を駈けたり、階段を蹴《けっ》たり、私語《ささや》いたり叱《しか》ったりする。思い合わすれば、たしかに変事があったに相違ない。
竜之助は別にそれを確《たし》かめてもみず、やがて朝飯の膳に向います。
「昨晩から、さだめてお喧《やかま》しゅうござんしたろう」
「何だ」
「まあ、お隣の騒ぎを御存じなされませぬか」
「知らぬ」
給仕に出たのは、丸い顔の気の好さそうな女中。あの騒ぎを、隣室にいて竜之助がほんとに知らないらしいのを不思議がり、
「宵の口に、若い御夫婦づれが、これへおいでになりました」
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