拠で、この男女の相談は心中というところへ落ち行くのが、ありありとわかります。
「それでは、お前」
「真さん、わたしは、もう覚悟をきめました」
「済まぬ、済まぬ、お前には済みませぬ」
「いいえ」
「この世の納めの盃」
 またここで話が途切れて、暫らくは啜《すす》り泣きの声。
「さあ、お前、書き遺《のこ》すことはないか」
「はい、実家《うち》へ宛て、一筆」
「落着いて、見苦しからぬようにな」
「はい」
 矢立《やたて》をパチンとあけて、紙をスラスラと展《ひろ》げる、その音まで鮮《あざ》やかに響いて来るのです。竜之助は男女の挙動《ようす》を手にとるように洩れ聞いて、どういうものか、これを哀れむ気が起らなかった。
 過ぐる時、少しばかりの危難に立合ってやったのにさえ、自分に対しては再生の恩のように礼を述べた女が、ここでは、この男のために喜んで死のうという。それほどに粗末な命であったのか。死を許す深い仲を、傍《そば》で見て嫉《そね》むのではない、死の運命に落ち行く男女の粗末な命を嘲《あざけ》るのであろう。助けらるべき人を見殺しにする、そこに一種の痛快な感じを以て、竜之助は人を殺したあとで見する冷
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