世間には、さまざまの変人がある、好んで危《あやう》きに近寄るは変人のなかの愚《ぐ》なる者。
 壮士の額にはようやく汗が滲《にじ》んできた、それと共に気がジリジリと焦《じ》れ出すのがわかります。この時、竜之助の足許《あしもと》がこころもち進む。
 壮士の踵《かかと》がこころもち退く。上段の太刀をおもむろに下ろして、中段に直します。
「構えの如何《いかん》に頓着《とんちゃく》せず、立合うや直ちに手の内に切り込み、そのまま腹部をめがけて突き行けば必ず勝つ」とは、千葉の道場などでよく教えた立合の秘訣《ひけつ》で、機先を制して勝ちを咄嗟《とっさ》にきめるか、さもなければ、塁を高くして持久戦の覚悟をきめ、そうして後に根気で勝つ。壮士は最初の法をとって、勝ちを一気に占める考えであったが、その術を施す隙《すき》がなかったので、やむを得ず、相方ともに楯《たて》をついての睨み合いです。
 関東の剣客で、その立合った限りにおいては、竜之助の音無しの構えを破り得るものがなかったのです。かの壮士は図《はか》らずもその術にひっかかったものです。降りみ降らずみ五月雨《さみだれ》の空が、十日も二十日も続く時は、大抵
前へ 次へ
全121ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング