て候」
 壮士は、刀の下緒《さげお》を襷《たすき》にする。竜之助は笠を取って、これも同じく刀の下緒が襷になります。
 驚くべき長い刀の鞘を払って、上段にとって、曳《えい》と叫ぶ、ずいぶん大きな声です。熟練した立合ぶりです。その技倆の程はまだ知らないが、立ち上って、まず大抵の人の荒胆も挫《ひし》ぐというやり方。なにしろ真剣の立合を茶飯のように心得たものでなければ、こうはいかないはずであります。
 一方、竜之助は同じく抜き放って、これは気合もなく恫喝《どうかつ》もなく、縦一文字に引いた一流の太刀筋、久しぶりで「音無しの構え」を見た。無名の師《いくさ》、尋常の果し合いはなかなか骨が折れる、まして敵の様子が海の物とも山の物ともわからない場合において、得意の構えに身を守り敵を窺《うかが》う瞬間は、いずれも気が張るのです。
 焦《せ》き込みもせず……無言のままで青眼にとった刀。こっちが嚇《おど》しても手答えがない、叫んでも反応がない……自ら薩州の浪人と名乗る壮士は竜之助の太刀ぶりに、やや意外の念を催します。
 道具をつけての稽古ならば、体当りで微塵《みじん》に敵の陣形をくずしてみたり、一《いち》か
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