ねんとしてこれまで来たのです。
「その人はどっちへ行った」
「さあ、ちとばかり前、あちらの方へ、田原本の方へ行きました」
「田原本へ――」
 七兵衛は忙《せわ》しく懐中へ手を入れて、
「親方、いくらになる」
「お客様、その刀もお買い下さいますか」
「買おう、売ってもらいましょう」
「饅頭の方が八十文いただきます、刀はちと価《ね》が張ります」
「いくらで売る」
「はい、五両、ちとお高うございますが、仕込みが安くございませんから、へえ」
 七兵衛は、黙って五両と一分をそこへ抛《ほう》り出して、その刀を抱《かか》えてこの店を飛び出しました。

 長谷寺《はせでら》の一の鳥居。机竜之助はそこへ立ち止まって、
「これこれ、巡礼衆」
「はい、私どもに御用でございますか」
「ちと、物をたずねたいが、あの長谷の観音の籠堂《こもりどう》と申すのは、誰が行っても差支えないか」
「ええええ、差支えのある段ではございませぬ、人の世で見放されたものをも、お拾いなさるのが観音様の御利益《ごりやく》でござります」
「左様か、忝《かたじ》けない」
 僻《ひが》んで取れば、この巡礼の返答ぶりも癪《しゃく》にさわる。おれ
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