の今日《こんにち》の運命は自ら求めたもので、おれは落魄《おちぶ》れても気儘《きまま》の道を歩いているのだ、まだ神仏におすがり申して後生《ごしょう》願うような心は起さぬ。竜之助の心には、充分の我慢が根を張っているけれども、差向き今の身に宿を貸してくれるところは、神社仏閣の廂《ひさし》の下のほかにはありそうもない。それで、いま通りかかる巡礼に長谷の観音の籠堂を聞いてみたのであります。
夕暮の色は、奥の院から下りて来る。黒崎、出雲《いずも》村の方は夕煙が霞のようになって、宿に迷う初瀬詣《はつせまい》りの笠が、水の中の海月《くらげ》のように浮動する。聞かでただあらましものを今日の日も、初瀬の寺の入相《いりあい》の鐘は、今し九十九間の階廊《かいろう》を下りて、竜之助の身にも哀れを囁《ささや》く。
わが子を縁から蹴落《けおと》し出家入道を遂《と》げた西行法師《さいぎょうほうし》が、旧愛の妻にめぐり会ったという長谷寺の籠堂《こもりどう》。竜之助はともかくもここで夜を明かそうとして、その南の柱の下に来ました。
底本:「大菩薩峠1」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年12月4日第1
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