て来た机竜之助、トボトボとして大和国《やまとのくに》八木の宿《しゅく》へ入ろうとして、疲れた足を休める。
 大和は古蹟と名所の国。行手を見れば、多武《とう》の峰《みね》、初瀬山《はつせやま》。歴史にも、風流にも、思い出の多い山々が屏風のように囲んでいる。竜之助はいま突いて来た竹の杖を道端に立てて歩みを止めたが――彼の姿を見れば大分変っている。
 川勝《かわかつ》の寺の堤《どて》で、賊と見誤られて財布を投げ出して行かれた、心にもなくそれに手をかけてみると、人を嚇《おど》すことの容易《たやす》いのに呆《あき》れる。竜之助は、ついついそこに待ち構えて、も一人、通行の人を嚇して着物を剥《は》ぎ取った、いま身に纏《まと》うている縞《しま》の袷《あわせ》がそれです。
 差しているのはただ一本の刀。
 笠をかぶって、右の風体《ふうてい》で大和路を歩いて行く。誰が見ても渡り者の長脇差、そのくらいにしか見えない。
 かの財布の中の金は、ここへ来るまでに大方尽きた。
 人の命を取ることと、人の財布を盗《と》ることといずれが重い――人を斬ることをなんとも思わぬ竜之助が、人の金銭をとったことに苦悶《くもん》す
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