突然ながら……」
「はい……はい」
立ち止まった人は股《また》をふるわす。
「道に迷うた者でござるが」
竜之助の姿を見た通りがかりの人はベタリ地面へ坐ってしまい、
「はい、どうぞ命ばかりはお助けを願いまする」
空提灯《からぢょうちん》を投げ出した。
「いや、拙者は悪者ではない」
「ど、どうぞ、お助け、倅《せがれ》が急病でお医者様へ参るのでござります」
「これ、思い違いを致すな」
「持ち合せは、これだけ、これを差上げまする、命ばかりは、命ばかりは」
縞《しま》の財布を懐ろから出して、竜之助の前に置くや、後ろへ躄《いざ》るように退《さが》ると、土手から田圃《たんぼ》へ転げ落ちる、転げ落ちると共に田圃中を一目散《いちもくさん》に逃げ出した。
「思い違いをしたと見える、粗忽《そそっ》かしい奴だ」
竜之助は苦笑いをして、そこに投げ出されてあった財布に眼がとまる。彼は、やや躊躇《ちゅうちょ》して、それを拾い上げる、銭の重味はザックリとして手答えがある。
竜之助も今まで善いことばかりはしていない。しかし人の金銭《もの》に手をかけたのはこれが初めです。
河内《かわち》の方から脱《ぬ》け
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