手にかけて殺した」
「なんという惨《むご》いこと……」
「芝の増上寺の松原で、松の樹へ縛っておいて、この刀で胸を突き透《とお》した」
武蔵太郎を取り上げた机竜之助は、やにわに立ち上って、眼が吊り上る。
「あれ――危ない」
立ち上った竜之助は、よろよろと足がよろめくのを踏み締めて、颯《さっ》と刀の鞘《さや》を外《はず》した。
「誰か来て下さい!」
お松は、この時、はじめて絶叫することができた。
「騒ぐな!」
武蔵太郎は閃々《せんせん》として、秋の水を潜る魚鱗《ぎょりん》のようにひらめく。
「あれ危ない、誰か来て下さい」
「騒ぐな!」
竜之助は、刀を横より斜めに振って、切先が襖《ふすま》へ触れると、ハラリハラリ御簾《みす》の形はくずれる。
「お武家様が気が狂いなされた!」
竜之助が、真に人を斬るつもりで刀を抜いたのならば、最初の一閃《いっせん》でお松の命はないはずであります――逃げ廻るお松の身に刃は触れないで、あらぬ方《かた》を見廻しつつ振りまわす切先は、襖、畳、柱のきらいなく当り散らして竜之助の足もとはよろよろ――まさしく気が狂ったものに違いない。
「やあ!」
薄《うす》ボ
前へ
次へ
全121ページ中102ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング