ば食わしてやる」
「済みましねえ、それじゃ、よばれに行くことにすべえ」
「江戸の土産話《みやげばなし》でも聞かせてくれ」
「それから方丈様、いつか教えてもらった地蔵様の歌、あのつづきを教えておくんなさいまし」
「和讃《わさん》かい、あれも教えてやるよ、どこまで覚えたか忘れやしまいね」
「忘れるものか、十にも足らぬみどり[#「みどり」に傍点]子が、というところまでだ」
「そうか、お前の覚え込みの悪いのには閉口だが、覚え込むと忘れないだけが感心だ」
海蔵寺の東妙《とうみょう》という坊さんは、気の軽い、仕事のまめな方丈様で、与八とは大の仲よしです。
「与八、弾正殿の三年忌になるで、早いものだなあ」
「そうだなあ、大先生《おおせんせい》が死んでから、もう三年も経《た》つかなあ」
「わしも、碁敵《ごがたき》が一人減って淋しいや、しかしまあ仕方がねえ。時に、あの倅殿《せがれどの》にも困ったものだて」
「若先生か」
「竜之助め、今どこにいることだか」
と言って話をするうちに寺へ着く。
東妙和尚は、広い庭の真中に植えられた大きな枝垂桜《しだれざくら》の下の日当りのよいところに筵《むしろ》を敷いてその上で、石の地蔵をコツコツと刻《きざ》みはじめる。
郁太郎《いくたろう》を背負《おぶ》ったなりで与八は和尚の傍へ坐り込んで、
「出来たな、やあ、相好《そうごう》のいい地蔵様だ」
「これから錫杖《しゃくじょう》の頭と、六大《ろくだい》の環《かん》を刻めば、あとは開眼《かいげん》じゃ」
「方丈様、どこへこの地蔵様をお立てなさるだね」
「うむ、これを立てるところか。それはな、ちっとばかり風《ふう》の変ったところへ立てるつもりだよ」
「どこだえ、この寺のお庭かえ、この桜の下あたりがいいな」
「いや、こんなところじゃない、わしは、ずっと前から思いついていたのじゃ、ほれ、大菩薩峠の天辺《てっぺん》へ持って行って立てるつもりだ」
「大菩薩峠の天辺へ……」
「名からしてふさ[#「ふさ」に傍点]わしいと言うものじゃ、地蔵菩薩大菩薩、なんとよい思いつきだろう」
「そりゃ方丈様、いい思いつきだ」
「賛成かな。それで与八、出来上ってからここで開眼供養《かいげんくよう》というのをやって、それから大菩薩峠の頂へ安置《あんち》する」
「なるほど」
与八はしきりに感心をして、
「その時は、方丈様、俺がこのお地蔵
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