張り交ぜてある。昔からこの地の名ある太夫の寄せ書を集めたものであろうと、七兵衛は、その和歌の二つ三つを読んでみましたが、自分には読み抜けないのが大分あります。七兵衛は教育を受けられなかった人間で、自分一個の器用で手紙の文字や触書《ふれがき》の解釈ぐらいは人並み以上にやってのけるが、悲しいことには、こんな優《みや》びやかな文字を見ると、男でありながらと、ひそかに額の汗を拭いて感心したり慚《は》じ入ったり。

         九

 木津屋の一間で、七兵衛は手枕《てまくら》で横になり、朋輩衆と嵐山の方へ行ったというお松の帰りを待っています。
 いま会って、一通りの話をした御雪太夫の面影《おもかげ》を思い返して、道中で見た時とは違い物々しい飾りを取りはずし、広くて赤い襟《えり》のかかった打掛《うちかけ》に、華美《はで》やかな襦袢《じゅばん》や、黒い胴ぬきや、紋縮緬《もんちりめん》かなにかの二つ折りの帯を巻いて前掛のような赤帯を締めて、濃い化粧のままで紅《べに》をさした唇、鉄漿《かね》をつけた歯並《はなみ》の間から洩るる京言葉の優しさ、年の頃はお松より二つも上か知らん、お松とは姉妹《きょうだい》のように思うていると言うたが、姉にすれば申し分のない姉、あんな姉があらばお松は仕合《しあわ》せである、お松のためにはこのままにして、あの太夫に任せておく方がけっく幸福か知らん。七兵衛はお松の身受けに来たのだけれど、来て見ればお松の将来についてまた変った考えが出て来ます。
 七兵衛はそれから、お松の身受けの金のこと、関東へつれて帰ってどうしようかということなどを、いろいろと考えているうちに眠くなって、うとうとと夢に入ろうとすると、
「御免あそばせ――あ、おじさん」
 眠りに落ちようとした七兵衛は、物音に眼をあいて、そこへ入って来た美しい女の姿を見る。
「青梅のおじさんではないか」
 女はこう言って跪《ひざまず》いたので、七兵衛は身を起して、
「お松坊か――お松坊であったか」
「はい」
 お松の姿は、三度変っている。第一は大菩薩峠の頂で猿と闘った時の笈摺《おいずる》の姿、第二は神尾の邸に侍女《こしもと》をしていた時の御守殿風《ごしゅでんふう》、第三はすなわち今、太夫ほどに派手《はで》でなく、芸子《げいこ》ほどに地味《じみ》でもない、華奢《きゃしゃ》を好む京大阪の商家には、ちょうどこのく
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