る……それからあの、ただいま、太夫様に会うには会うようにして会えとおっしゃいましたが、それはどう致したらよろしゅうございましょう」
「それは、こんなところでなく、あちらに宏大《こうだい》な揚屋というものや、お茶屋さんというものがありますから、そこで聞いてごらん」
「関東から上ったばかりでございますから、トンと何もかも存じませぬ、失礼を致しました。それでは、もう一応あちらで聞き直しました上で、また後刻お伺い致しまする」
こう言って、七兵衛は丁寧にお辞儀をして木津屋の前をいったん立ち去ろうとすると、道筋を、こちらへ、揚屋から帰る太夫の一行があります。
太夫の道中も島原がはじめ。道中とは太夫が館《やかた》と揚屋との間を歩く間のこと。
ずっと昔は毎月二十一日に、後には年に両度、その後は年に一度、四月の二十一日、真行草《しんぎょうそう》の三つの品の中、真の道中は新艘《しんぞう》の出る時、そうしてこれは、最も普通の意味における道中、太夫が館と揚屋を歩くだけのこと。
霞《かすみ》にさした十二本の簪《かんざし》、松に雪輪《ゆきわ》の刺繍《ぬいとり》の帯を前に結び下げて、花吹雪《はなふぶき》の模様ある打掛《うちかけ》、黒く塗ったる高下駄《たかげた》に緋天鵞絨《ひびろうど》の鼻緒《はなお》すげたるを穿《は》いて、目のさめるばかりの太夫が、引舟《ひきふね》を一人、禿《かむろ》を一人、だんだら染めの六尺帯を背に結んだ下男に長柄《ながえ》の傘を後ろから差しかけさせて、悠々として練って来ましたから七兵衛は、こちらの遊女屋の軒下《のきした》に立ってその道中の有様を物珍らしと見ていますと、右の一行が、木津屋の暖簾《のれん》の中へ入ってしまい、そのあとから男が二人、黒塗りの長持のような大きな箱を担ぎ込むところまで見ておりましたが、その箱の一方は、将棋《しょうぎ》の駒の形をした木札《きふだ》があって、それに「御雪」と記されたのを見る。
「もしもし、それへおいでのお客さん」
梅の花の振袖《ふりそで》を着た小さな禿《かむろ》、ちょこちょこと走り出て呼び止めますから、七兵衛は振返りました。
「私でござんすか」
「はい、あの太夫さんが、お前に会いたいと申しまする、お入りなさい」
「それは有難う存じまする」
七兵衛が通された部屋には、古色を帯びた銀襖《ぎんぶすま》があって、それには色紙《しきし》が
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