ち灰屋《はいや》三郎兵衛に身受けされた二代目芳野の頃を全盛の時とすれば、祇園《ぎおん》の頭を持ち上げた時が、ようよう島原の押されて行く時であろう。
 そうして、この物語の時代、すなわち維新前後にパッとまた一花咲かせた。大小七十余藩の武士が一度に京都へ集まった時、さびれかかった日本遊廓の根元地が、またも昔の権威を盛り返して、他場所で遊んで不首尾をした時は帰参が叶《かな》わなかったけれど、島原での咎《とが》は帰参が叶ったという勢いでありました。

         八

 島原の木津屋という暖簾《のれん》のところへ、或る日のこと、百姓|体《てい》の男が旅姿で、
「少々、お頼み申します」
 これは裏宿七兵衛。
「お客さんか」
 眉を落して、小緞子《こどんす》の帯を前結びにした三十前後の女が暖簾をわけて姿を見せ、
「どちらから?」
「これはちと遠方から参りましたもので、御雪太夫《みゆきだゆう》さまのお館《やかた》はこちらでござりましょうか」
「はい、御雪様はこちらでありますが、あなた様はどなた」
「左様でござりましたか。私は関東の者でございますが、太夫様にちょっとお眼にかかりたくて上りました」
「お前様が、あの太夫様に? それは太夫様ご存じのことか」
「いや、お眼にかかって申し上げたいことで、案内も存じませぬ故、宿へ着きますると早速《さっそく》これへ参りましたようなわけで」
「阿呆《あほ》らしい」
 女は軽侮《けいぶ》の色を現わして、
「太夫様が、知己《ちかづき》のない方に、そう容易《たやす》くお目にかかるものかいな、出直しておいでなされ」
 引込んでしまおうとするのを、七兵衛は、
「あ、もし、太夫様にお眼にかかれぬならば、あの、お松と申す女の子が、このお家に御厄介《ごやっかい》になっておりまするとやら」
「お松――」
「はい、このごろ関東から上りました女の子」
「おお、そんなことも」
 女は様子ありげな七兵衛の風情《ふぜい》を見比べて、なんと思ったか、急に打消して、
「そんなお方も存じませぬわいな」
「それは困った」
 七兵衛はやや当惑の色。女はそれを見て、いくらか気の毒の念を催したものと見え、
「お前さん、太夫様に会いたいとならば会うようにしてお会いなされ、ただいまは揚屋入《あげやい》りでお留守じゃ、あとで伝えておきましょう」
「はい、それでは後刻《ごこく》また伺います
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