、お浜は情のある女であった。不足を唱《とな》えたのはああいう勝気な女の常で、そのくせ、よくあの暮しに辛抱して世話女房をつとめ了《おお》せたものだ……情に強いようで実はきわめて脆《もろ》い女である、自分を誤ったのがあの女の罪か、あの女を誤らせたのが自分の罪か。
今となって物《もの》の哀《あわ》れに動かされると、竜之助も人が恋しくなる、眼が冴《さ》えて眠れない。
外では雨にまじる風の音、稲荷《いなり》の滝の音が遠く攻鼓《せめつづみ》のように響いて来る。と、その中に人の鼾《いびき》。
「はて、人の鼾がするようじゃ」
竜之助は小提灯の光を揚げて見ると、四隅のいずれにも鼾の主《ぬし》は見えないで、見上げるところに大きな額《がく》、流るる如き筆勢で、
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鈴鹿山、浮世《うきよ》をよそに振りすてて
いかになり行く我身《わがみ》なるらん
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これはこれ西行法師《さいぎょうほうし》の歌でありました。
十七
「お前にそう言われると、わしはどのようにしてよいやら」
床の柱に凭《もた》れて若い男は思案に暮れている様子を、それと向き合っ
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