この時、竜之助のあることを初めて知って、いかにも気の毒そうに、
「そんな無理なことを言うものではありませぬ」
「無理とはどっちの言うことだ御新造、いったいお前様は亀山のどこからおいでなされた、お前様の駕籠に乗り方があんまりあわただしいから、ずいぶん酒手を貰う筋があると睨《にら》んだのに何が無理でえ」
「まあ、どうしましょう」
女はわーっと泣き出すと、竜之助はすっくと立って物も言わずに黒坂の横面《よこつら》をピシーリ。
「あ痛ッ」
黒坂は何としたか一度ひっくり返って、その次に居直るかと思えばそうでもなく、雲を霞と逃げて行きます。
黒坂の逃げたのは、竜之助を巡廻の役人とでも思ったのか、それとも敵《かな》わじと見て仲間を呼んで仕返しに来るつもりでもあろうか。
「なんともお礼の申上げ様がござりませぬ」
女は乱れた衣紋《えもん》を繕《つくろ》うて竜之助の前に心からの感謝を捧げる。
「お怪我《けが》はござらぬか」
「いいえ、別段に怪我は致しませねど……あなた様がおいで下さらねば、どのようになりますることやら」
「悪い駕丁《かごや》どもだ」
竜之助は再び縁台に腰を下ろす。礼を言う女の面《か
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