上のこととは言え、なんとか言葉をかけねばならぬ場合に立至ったのです。
「駕丁《かごや》――駕丁」
黒坂が振返って見ると、今まで気がつかなかった旅の武士《さむらい》が一人、笠越しにじっとこっちを見据《みす》えています。
「何ぞ御用ですか」
「駕籠賃は拙者が立換えるによってこれへ出ろ」
「へえ」
連れというのはこの武士のことであろうかと、黒坂はそう思って竜之助の傍《そば》までやって来て、
「ナニ、この御新造《ごしんぞ》がおかし[#「おかし」に傍点]なことを言うもんですから」
敷居の上へ腰を卸《おろ》して煙草入れを引抜き、太い煙管《きせる》を取り出して口にくわえ、叺《かます》を横にしてはたいてみる。
「いくらになる」
「へえ、亀山から一里半の丁場《ちょうば》でござい」
「よろしい」
竜之助は財布《さいふ》を取り出して、小銭百文をパラリと縁台の蓙《ござ》の上へ投げ出して、その取るに任せると、黒坂は横目で、
「有難うございます」
その小銭はまだ手にだも触れないで、女の方を流し目に見て、
「御新造、酒手《さかて》の方をいくらか……旦那に話してみていただきてえもんでございます」
女もまた
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