女は困《こう》じ果てて、
「それでは駕丁《かごや》さん、こうしましょう……」
 艶々《つやつや》しい頭髪《かみ》の中から抜き取ったのが、四寸ばかりの銀の平打《ひらうち》の簪《かんざし》。これが窮したあげくの思案と見えて、
「これを取っておいて下さい」
「そんな物は要《い》らねえ」
 黒坂は平打の簪をグッとひったくって、
「さあ、もう一ぺん駕籠に乗り直しておくんなさいまし」
「駕丁さん、駕丁さん」
 火縄の老爺は見兼ねて膝を叩《たた》いて立ち上って来ました。
「まあまあ」
 割って出たけれども、さしあたり仲裁の言葉に行詰《ゆきづま》って、
「いいかげんにするがいいやな」
「何がいいかげんだい、爺《とっ》さん」
「女衆《おんなしゅう》にあんまり言いがかりを附けねえことだ」
「爺さん、言いがかりというのはどっちのことだ、引込んでいな」
「あれ、どうしましょう」
「よ、もう一ぺん乗り直しておくんなさいまし」
 女の腕を押えて、片手は帯のところへかけて押せば、よろよろと駕籠の縁《へり》へ押しつけられます。
「あれ、堪忍《かんにん》して下さい」
 こうなると机竜之助、たとえ血も涙も涸《か》れきった
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