《ごしんぞ》、ここが抜け道の茶屋で」
 威勢よく店前《みせさき》へ着いた一|挺《ちょう》の駕籠《かご》、垂《たれ》を上げると一人の女。
「お浜!」
 竜之助は僅かにその名を歯の外には洩《も》らさなかったけれども、この女の名が浜でなければ不思議である。それとも竜之助の眼には、すべての女の面《かお》がお浜のそれに見えるのかも知れません。
「駕籠屋さん、どうも御苦労さま」
 竜之助は眼をつぶってその姿を見まいとした、耳を抑えてその声を聞くまいとした。あれもこれも生き写し。
 女は駕籠から出て、
「駕籠屋さん、どうも御苦労さま」
と言いながら帯の間を探ってみて、ハッと面の色を変え、慌《あわただ》しく懐《ふところ》や袂《たもと》に手を入れて、
「まあどうしましょう、ちょっと駕籠の中を」
 隅々《すみずみ》を調べてみて当惑の色はいよいよ深く、
「駕籠屋さん、済みませんけれど」
 二人の駕籠屋は突立ったなり、左右から女の様子をながめていたが、
「何だえ御新造」
「連れの人がほどなくこれへ見えますから、少しのあいだ待っていて下さいな」
「待っていろとおっしゃるのは?」
「たしかに持っていたはずの紙入《
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