ばかま》の裾《すそ》をハタハタと叩《たた》き、
「老爺《おやじ》」
「はい」
「汲みたての水を一杯|所望《しょもう》」
「はいはい、汲みたての水、よろしゅうございます、うちの井戸は自慢ものの上水《じょうみず》でございまして」
 老爺が水を汲みに裏へ廻る時、件《くだん》の武士は縁台に腰を下ろしていたが、頭にいただいた竹皮笠《たけかわがさ》は取らず、細く胴金《どうがね》を入れた大刀を取って傍《わき》に置き、伏目《ふしめ》になった面《かお》を笠の下からのぞくと、沈みきった色。
 机竜之助はともかくも、京都をめざしてここまで落ちて来たものです。
 老爺が手桶《ておけ》に汲んで来てくれた水を、竹の柄杓《ひしゃく》で一口飲んで、余水《のこり》を敷居越しに往還へ投げ捨てて、柄杓を手桶に差し込んでホッと息をつく。
「お茶をいかがでございますな」
 老爺が念を押してみると竜之助は首を左右に振る、火鉢をすすめても煙草をふかす様子もないし、詮方《せんかた》なく老爺は再びもとの座に戻って火縄にかかろうとすると、
「草鞋《わらじ》を一足くれぬか」
「はいはい」
 吊《つる》された手づくりの草鞋一足を引き抜いて、
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