ましょう。時にお師匠様」
七兵衛は話向きを改めて、
「お松の方はどうでございましょう」
「ああ、その事、その事。それはわたしの方からお前さんに尋ねたい。飛脚《ひきゃく》を立てようかと思っていたところですよ」
「へえ、お松がどうぞ致しましたか」
「あの子はお前、駈落《かけおち》をしてしまいましたよ」
「駈落を?」
「それも御主人の若様と逃げたとか、然《しか》るべき男と逃げたというんならお話にもなりますけれど」
「いったい、誰と逃げました」
「誰といってお前、山出しの馬鹿と逃げたんだもの、話にも何もなりやしない」
「馬鹿と……」
「お前さんには最初から話さないとわからないが、二月《ふたつき》ほど前にあの子を、わたしが四谷の神尾様という旗本のお邸へ御奉公に上げましたところが、そのお邸に与太郎とか与八とかいう馬鹿がいて、どうでしょう、お松はその馬鹿に欺《だま》されて夜逃げをしてしまいました」
「四谷の神尾様というのは、あの伝馬町の神尾主膳様のことでございますか」
「そうです。その神尾様、三千石のお旗本なんだから、首尾よく御奉公して殿様のお気に入ればどんなに出世するかわからないのに、人もあろう
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