わ、先刻お前から離縁の申し出があってみれば赤の他人……いや、まだ餞別《せんべつ》に申し残しがあったのだ、よく聞いておけ」
 竜之助は立ったなりで、
「おれは近いうちに宇津木兵馬を殺すぞよ」
「兵馬を殺す?」
 お浜は膝を向け直す。
「うむ、兵馬を斬るか、兵馬に斬られるか……」
「それは――」
「まさか兵馬が小腕に斬られようとも思わぬ、毒を食わば皿までということがある、宇津木兄弟を同じ刃《やいば》に……」
 竜之助の蒼白い面に凄い微笑が迸《ほとばし》る。
 お浜は真正面《ましょうめん》からその面を見上げて、この時は怖ろしいとはちっとも思いませんでした。
「お殺しなさい――」

         十

 竜之助は自分で酒を飲んで早く寝込んでしまいました。
 お浜は、また暫らくの間はぼんやりと坐っているばかり、郁太郎は幸いにすやすやと眠っています。
「兵馬を殺す」
と言った竜之助の一言、それがお浜の胸を刺す。

 竜之助も眠りに就いたようで、例の唸《うな》る声、キリキリと歯を噛《か》む音。
 お浜は思い出したように立ち上って次の間へ行ってみました。
 竜之助の机の上には、さきほど書いていたら
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