何とも言い張りません。
竜之助はそのまま次の室へ入って、机に向って暫らく茫然《ぼうぜん》と坐っていましたが、自分で燈火《あかり》をつけて、それから料紙《りょうし》、硯箱《すずりばこ》を取り出して何か書き出したものと見えます。
まもなくお浜はここへ入って来ました。
「あなた、竜之助様」
「何だ」
「お願いがござりまする」
「言ってみろ」
竜之助は書きかけた筆を置きもせず、お浜の方を見返りもせず冷やかな返事です。お浜の方も何か深い決心があるらしくて、別にくどいことも言わず、これも眼の中はやっぱり冷やかな光で満ちて、
「離縁をして下さい」
「離縁?」
竜之助はこの時、ちょっと筆を休めてお浜を見返り、
「離縁、それも面白かろう」
「ええ、面白うござんす、ずいぶんあなたとは永く面白い芝居を見ましたから」
「ここらで幕を下ろそうというのかな」
「離縁状を書いて下さい」
「誰に断《ことわ》った縁でもない、いまさら三行半《みくだりはん》にも及ぶまいが」
「そんなら今から出て行きます」
「それもよかろう」
竜之助は、いよいよ冷淡な気色《けしき》で、
「しかしここを出てどこへ行く」
「どこへ行き
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