、自分の子とは思うていないのかしら」
 そこへ飄然《ひょうぜん》と竜之助が帰って来ました。
「いま帰った」
 竜之助の面の色はいつもよりも一層|蒼白《あおじろ》く、お浜と郁太郎とをひとめ見たきりで、さっさと次の間へ行こうとする。お浜はこの時、腸《はらわた》の底まで竜之助の憎らしさが沁《し》み込んで、
「あなた、この子は誰の子でござんしょう」
 その声は泣き声でありましたから、竜之助はその切れの長い目でジロリと、
「誰が子とは?」
「坊やは誰の子でしょう」
「何をいまさら」
「郁太郎はお前様の子ではありませぬ」
「何を言うのだ」
「この子は死んでしまいますのに」
「なに?」
 竜之助は、お浜の例の我儘《わがまま》な突っかかりが始まったと思うたが、今日はそんな嚇《おど》し文句《もんく》に対して思いのほか冷淡で、
「寿命《じゅみょう》なら死ぬも仕方がない」
「まあ……」
 お浜は凄《すご》い目をして竜之助を睨みました。竜之助もまた沈み切った眼付でお浜を睨み返す。いつもならばここで癇癪《かんしゃく》が破裂して、生きるの死ぬのと猛《たけ》り立つべき場合であったのに、今日は不思議にも二の句をついで
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