だって、これから身を定めるには物要《ものい》りがつづきますからね、何とかしなければ」
「左様《さよう》でございますね」
「あのね、あんまり立入ったことだけれども、お前なにか金目《かねめ》の物を持っていやしないかね、売るとか質に入れるとかして、纏《まと》まったお金の手に入るようなものを」
「それは、どうも」
「あれは何だね、お前あの手文庫の中にあったもの、錦の袋に包んだ短刀のようなもの、あれはお金になりそうだね」
 お滝が早くも眼をつけたのは、ずっと昔、お松が裏宿《うらじゅく》の七兵衛から貰った藤四郎の短刀です。
 お松は返事に困って、この伯母という人の性根《しょうね》がどこまで卑《いや》しくなったかと、それを悲しむのみであります。
 お滝がその品を道具屋に見せてごらんとすすめて帰ったあとで、お松は思い出したように、手文庫を調べて錦の袋に入れた短刀を取り出して鞘《さや》を払ってながめました。
 暫らく手入れをしなかったが名刀の光は曇らず、それを見ていると過ぎにし年の大菩薩峠の悲劇がありありと思い出されるのです。こうして短刀を眺めながら、ひとりつくづく思案に耽《ふけ》っていると、
「これお
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