の方から買手が来ていたので話が纏《まと》まったものだということです。この男の言うことがどのくらいまで信用が置けるか知らないが、前後の話の辻褄《つじつま》はよく合うから七兵衛は、
「さあ、お前の家まで行こう」
「旦那、もうどうか御免なすって」
「お滝という女はお前の家にいるんだろう」
「いいえ、どう致しまして」
「お滝とお前と共謀《ぐる》になってお松を誘拐《かどわか》して売ったに違いない」
「ナニ、そんなことはございません」
「ともかく急げ」
 ちょうどこの時、町の角に自身番があったのを紙屑買いが見かけて、突然に大きな声、
「泥棒!」
「ナニ!」
 七兵衛が首筋《くびすじ》を締め上げると、紙屑買いは苦しい声を張り上げて、
「旦那方、こいつは泥棒でござります、泥棒、泥棒」
 自身番に詰めていたもの、今の火事騒ぎで通りかかったもの、こちらへ飛んで来るから七兵衛は、紙屑買いを突き放して人混《ひとご》みの中へ姿を隠してしまいます。

 お松がはたして京都へ売られたものならば、七兵衛の足は直ぐに京都へ飛ぶであろう、七兵衛がその気で歩き出した時は、朝江戸を出て、その夜は京都の土を踏むことであろう。
 それとは関係なく、机竜之介が落ち行く先もまた京都であるとすれば、宇津木兵馬の追って行くところもまた京都でなければならぬ。
 ことに芹沢、近藤、土方ら、新徴組が数を尽して向うところも京都警護の役目である。

         十四

 青梅街道《おうめかいどう》をトボトボと歩いて行くのは与八です。
 背には郁太郎《いくたろう》をおぶって、手には風呂敷包を紐《ひも》で絡《から》げて提げ、足は草鞋《わらじ》を穿《は》いて、歩きながら時々涙をこぼしています。
 与八の身になっても意外のことばかりで、お松をつれてこの街道を帰るつもりであったのが、一夜のうちにこんなことに変ってしまったのです。
「おお、与八じゃねえか」
「ああ太郎作《たろさく》さん」
 畑の中で仕事をしている知合いの百姓。
「江戸から帰ったのかい」
「うん」
「儲《もう》かったかい」
「儲からねえ」
「そりゃどこの子だい、お前の子じゃあるめえ」
「俺の子じゃあねえよ」
「拾いっ子かい」
「拾いっ子だよ」
「ああお土産《みやげ》を持ってるな与八さん、そのお土産をここへ分けて行けよ」
 与八は情けない面をして包みに眼を落しながら、

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