家は揉《も》める、なんしろお内儀さんというのが家附きの娘ですから、出るの入るの、摺《す》った揉んだのあげく」
「離縁になったのかな」
「ところが騒ぎの真最中《まっさいちゅう》、御亭主殿が急に患《わずら》いついてポクリと死んでしまいました」
「はあ――て」
「それからお内儀さんというものが捨鉢《すてばち》の大乱痴気《だいらんちき》で身上《しんしょう》は忽ちに滅茶滅茶、家倉《いえくら》は人手に渡る」
「ふむ」
「そのまた買った人がどうしても伸立《のだ》たない。なんでもあの土蔵からお化《ば》けが出るという噂で、あれからもう三代目、こうしていまだに売物に出ていますようなわけで」
「それはまあ、なんにしてもお気の毒……そのお内儀さんというのは今どうしていますな」
「さあ、そいつが聞きもので……しかし私ばかりこうベラベラ喋《しゃべ》ってもよいもんですかどうですか。旦那、お前様はいったい山岡屋の何なんでございます」
「お前さんはまた何だえ」
二人は面《かお》を見合せて、
「実は旦那」
紙屑買いの言葉が妙に改まって、
「私共の面にはお見覚えがござんすまいが、私共の方には旦那のお面にようく見覚えがござります」
「何だ、私の面に見覚えとは」
「へへ、何を隠しましょう、と大きく出るほどの者ではございませんが、実はあのころ山岡屋に丁稚奉公《でっちぼうこう》をしておりました」
「はあ、山岡屋の番頭さんか、それはお見外《みそ》れ申しました」
「ちょうど、旦那があのお松という子をつれて店前《みせさき》へおいでなすった時、お面をよく見覚えておきました」
「なるほど」
「なるほどだけでは張合いがございません。私もあのドサクサまぎれに店の金を少々持逃げ致しまして、ちっとばかり悪いことをやり、今ではこんな姿に落ちぶれました。旦那をお見かけ申したのは、ほかじゃあございません……」
「何だい」
「もとはと申せば、みんなお前様の蒔《ま》いた種といってもよいのでございますから、どうかいくらか恵んでやって下さいまし」
「お前さんも相当の悪《わる》になったね」
七兵衛はジロリと紙屑買いの面を見ると、紙屑買いは嫌味《いやみ》な笑い方をして、
「その代り旦那、お前様がつれておいでなすったあのお松という女の子、あの子の行方《ゆくえ》を私がすっかり喋《しゃべ》ってしまいますよ」
「うむ、そうか、ともかくお前さんにこれ
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