蒼《まっさお》になったのを、七兵衛は心地《ここち》よげに、
「そんなに驚くことはねえ、恥と言ったって、なにもお前さんを弄《なぐさ》み物《もの》にするわけじゃねえのだ、おれは子供の時分から虫のせいで、善い事にしろ悪い事にしろ仕返しをしなくっちゃあ納《おさ》まらねえ性分《しょうぶん》だ、それでさきほどのお礼にやって来たわけだが――実はお内儀さん、少し手荒いかも知れねえが、お前さんを裸《はだか》にして……」
「えッ?」
「お前さんに裸になってもらって、それをわっしが痛くねえように縛って上げるから、それでもってお内儀さん、先刻《さっき》わっしがお松と一緒に抛《ほう》り出されたお店の先へ明日の朝まで辛抱《しんぼう》して立っていてもらうんだ。いいかえ、暁方《あけがた》になったら人も通るだろう、そうなるといいお内儀さんが素裸《すっぱだか》で立っているのを見過ごしもできめえから、何とかして上げるだろう、お淋《さび》しくもあろうが暫《しば》しの辛抱だ、幸いここに二歳《にさい》がいる、こいつをお伽《とぎ》に……」
「お助け下さい――」
 二人は声を合せて号泣《ごうきゅう》する――そのあとはお滝がひいひいと悶《もだ》え転《ころ》ぶ音。

 七兵衛は変った盗賊です。
 この物語の最初以来、甲州から武州、ならびに関八州を荒し廻った盗賊というのは大方はこの七兵衛の仕業《しわざ》でした。
 七兵衛は盗みの天才で、子供のうちからすでに大人の舌を捲《ま》かしたものです。
 十か十一の頃でもあったろう、同じ青梅の宿《しゅく》の名主《なぬし》の家に雇われていた時分、主人の物をはじめ近所あたりの物をちょいちょい盗みます、盗んでどうするかといえば、直ぐにそれをほかの子供らにやってしまう。親たちが見つけてこれは誰に貰ったと聞けば、七ちゃんに貰ったと答える。それから七兵衛の泥棒根性と、その手腕はようやく世間の認めるところとなって問題になりかけた時に、主人が七兵衛を呼びつけて、
「お前はよくねえ癖がある、今のうちは子供で済むが年を取るとそうはいかぬ、その癖をやめろ、やめねえけりゃこの家を逐《お》い出すからそう思え」
「旦那様、俺《おい》らは何か見ると盗みたくなってたまらねえ、盗んでしまえば気が済みます、だからみんな子供にやっちめえます、悪い気で盗むじゃねえから、どうか堪忍《かんにん》して下さい」
「あきれた野郎だ、悪い気でなく、善い気で盗まれてたまるものか――よし、それほど盗みたいなら七公」
 主人は言葉を改めて、
「今夜おれの座敷へ忍んで来て、俺の膝元《ひざもと》へ金包を置くから、それを盗んでみろ、もし見つけたら俺がこの刀で叩き切っちまうがどうだ」
 こう言われて七兵衛はかえって平気、
「いいとも旦那、明け方までにはきっと盗んで見せまさあ」
「生意気なことを言う奴だ――いいか、盗み損《そこ》ねたらホントに命はないぞ」
 名主は苗字帯刀御免《みょうじたいとうごめん》の人だから、切ってしまうというのはことによると嘘《うそ》ではあるまい。
「もし首尾よく盗んだら旦那様、どうしてくれます」
 逆捻《さかねじ》を喰わす口ぶりに、主人もあいた口が塞《ふさ》がらず、
「その時は勝手にしろ」
「そんなら勝手に泥棒してもいいか」
「馬鹿! どうでも今夜は切っちまうからそのつもりで来い」
 主人はその晩、一包みの金を自分の膝のところへ置いて、長い刀の鞘《さや》を払い、七兵衛が来たら切らぬまでもこれで嚇《おど》しつけて、その手癖を直してやろうと、燈火《あかり》の下へ右の白刃《しらは》を置いて、机を持って来て夜長のつれづれに書物を読み出していましたが、なかなか七兵衛は来ない。
「やつめ、怖《こわ》くなりやがったな」
と主人も微笑していましたが、やがて一番鶏《いちばんどり》が鳴きました。
 ふと見れば、膝元に置いた金の包がない。
「はて」
 主人はびっくりして、机の下、行燈《あんどん》の蔭、衣服《きもの》の裾《すそ》まで振って見たけれど、差置いた金包は更に見えません。
「ああ盗《や》られた」
 急いで人を起して、
「七兵衛はいないか、七兵衛はどこへ行った」
 どこへ行ったやら影も形も見えないので、主人は中《ちゅう》っ腹《ぱら》で、それから日のカンカンさすまで寝込んでしまうと、
「旦那様、七兵衛が見えました」
「ここへ連れて来い」
 主人の寝床の前へ七兵衛は平気な面《かお》でやって来て、
「旦那様、お土産《みやげ》を買って来ました」
とて経木《きょうぎ》の皮に包んだ饅頭《まんじゅう》を差出しました。呆気《あっけ》に取られた主人が、
「七兵衛、お前は昨夜どこへ行った」
 噛《か》みつくように怒鳴《どな》るのを七兵衛は抜からず、
「旦那様からお金をいただいたから、欲しいと思っていた網とウケ(魚を捕る道具)を買いに八王子まで行って来ました」
「八王子へ?」
 主人が眼を白黒《しろくろ》したのも道理で、八王子までは六里からあります。昨夜いつごろ金を盗んだかわからないが、それから往復十二里の道を子供のくせに平気で歩いて来たと聞いただけで、胆《きも》をつぶす価値《ねうち》が充分あるのです。
「こういう奴は末が怖ろしい、勝手に出て行け」
 それで主人の家をお払《はら》い箱《ばこ》になってしまいました。
 それからの七兵衛は自分の家へ帰ってコツコツと少しの畑を耕したり、賃雇いに出たりして暮していたが、その後、世話をする者があって隣村から嫁《よめ》を貰った、この嫁が尻の軽い女で、初めから男があったとかなかったとかいう者もあったが、ようよう一人の男の子を生むと、女房の姿が見えなくなった、近所の人は男と駈落《かけおち》をしたものだろうと言っています。
 子供を一人残されて女房に逃げられた時は、七兵衛も大分弱ったようでしたが、その後、子供は里へ預けて来たと言って、それからは一人で暮して、昼は山稼《やまかせ》ぎ畑稼ぎをして、夜になっては大概早く戸を締めて人とも交際しません。七兵衛は固くなった固くなり過ぎたと、人々は評判をしておりましたけれど、実はこの時分から、持って生れた泥棒癖《どろぼうへき》が再び萌《きざ》しはじめたものです。
 昼のうちは克明《こくめい》に働いて、夜分になると戸を締め切っておいて盗みに出かけます。盗みは決して近いところではしない、上州とか甲州とか数十里を隔てたところへ行っては盗んで来て、その暁方《あけがた》までに青梅へ帰って、昼はまたなにくわぬ面で山稼ぎ畑打ちです。それで盗んだ金は名も現わさず散らしてしまう、女狂い賭博狂《ばくちぐる》いをするでもなければ身の廻りを飾るでもないから、誰も怪《あやし》むものがない、それでいよいよ捕われるまでは七兵衛の大罪を知るものはなかったわけです。

         二十一

 竜之助の父|弾正《だんじょう》の枕元に、宇津木兵馬と与八とが坐っております。
「兵馬殿、せっかく剣術を修行なさるなら正しい剣術を修行なされよ」
 弾正は言葉を改めてこう言い出しました。
 憎い敵《かたき》の家、竜之助の父、兵馬はこう思い込んで来たものの、事実、弾正に会うて見れば、その病気に対する同情と、寸分の隔《へだ》てなく慈愛を以て自分を訓戒する真心《まごころ》に動かされてしまったのです。それで神妙に膝に手を置いて弾正の言うところを聞いていると、
「あの竜之助がよい見せしめ、あれも初めは見込みのある剣術であった、わしも最初のうちは欣《よろこ》んでいたが、わしが病気になって以来、すっかり術が堕《お》ちてしまったでな」
「術が堕ちたとおっしゃるのは」
「何も知らぬ者は竜之助がメキメキ腕を上げたと評判するげな。わしが眼で見れば日増しに術が堕ちてゆく。ああ残念な、この身が丈夫であったらあの腕を叩《たた》き直してやろうものをと思わぬ日はなかったが、何を言うにもこの不自由で、みすみす倅《せがれ》を邪道に落した」
 弾正の眼からは竜之助の剣術の進歩を進歩と見ないので、
「あのような剣術が今日《こんにち》の仕儀《しぎ》になるは眼に見えたものじゃ、わしはもう世に望みのない身体《からだ》、兵馬殿、どうか拙者になり代って竜之助を懲《こ》らして下さい」
 弾正は疲れを休めて後、
「とは言え、今の其許《そこもと》では、いかに心が逸《はや》っても竜之助の向うに立つことはおぼつかない、ようござるか、修行が肝腎《かんじん》じゃ」
「修行します、立派に修行しませいでか」
「ああよいお覚悟じゃ。時に、正しい修行には正しい師匠を取らねばならぬ……わしがその正しい剣道の師匠を其許に推薦《すいせん》する、その人について修行なさるがよい」
 弾正が推薦する正しき剣道の師とは何者か。
「下谷の御徒町《おかちまち》に島田虎之助という先生がある、流儀は直心陰《じきしんかげ》、拙者が若いうちからの懇意《こんい》で、今でも折々は消息《たより》をする、この人はまさに剣道の師たるべき達人じゃ」
「島田虎之助先生、お名前も承わったように覚えまする」
「上泉伊勢守の正統を伝えたものは当代にこの人であろう」
 己《おの》れが子竜之助の剣道を邪道と罵《ののし》るにひきかえて、島田虎之助を弾正が推薦することは極度であります。
「正しい代りに修行が厳《きび》しい――厳しい修行で弟子が少ない、もと名聞《みょうもん》を好む性質でないから世間からは多く知られていないが、わしとは若い頃から気が合うてよく交《まじ》わった――せっかく剣道を学ぶならこの人に就いて学びなされ」
 弾正の話の中には、別におのずから見識があって、兵馬にはよくわからないながら、この老人が尋常の人と思えない、もしこんな病気にかからないならば、どんなエライ人になったろうかと、そぞろに尊敬の心を起させるようです。

         二十二

「今日は五月のお節句ですねえ」
 障子を少しあけて、初夏の清々《すがすが》しい日光と風とを入れ、その膝のところに、ようやく這《は》うばかりになった男の子を遊ばせて、自分はその子の単衣《ひとえ》を縫っている若い女房は、ちょっと眉根《まゆね》を顰《ひそ》めて男の方を見やりました。
「四年目の五月の節句じゃな」
 見台《けんだい》を前にして何かを読んでいた男の人は、女房の話しかけたのをこう受けてちらと見向きますと、余念なく衣《きもの》を縫うている女房の襟元《えりもと》のあたりが見えます。
「来年もお山に試合がございましょうねえ」
「ある」
「どなたが勝ちましょう」
「誰が勝つか」
「お前様このごろは根っから試合をあそばしませぬ……」
「日蔭者《ひかげもの》の身ではなあ」
 こういって男がなんとなく深く歎息をした時に、女は針の手をとどめて、
「ほんとにもう、日蔭者になってしまいましたわねえ」
 男の面《かお》を見て淋しく笑います。
「いつまでもこうしてはおれぬ」
 男の所在なげに呟《つぶや》く時、女は持っていた縫物を投げ出して、
「坊や、抱《だっ》こをおし」
 膝にまつわる可愛らしい男の子を抱き上げて、
「ほんにお前様のお腕なら、この広い江戸表へ道場を開きなされても立派に師範で通ろうものを……こうしていつまでも日蔭者同様の身ではねえ」
「いまさら愚痴《ぐち》を言っても追っつかぬ、みんな身から出た錆《さび》じゃ」
「でもお前様……」
 女は子を抱いたなり男の方へ膝を向け、
「私たちは日蔭者でも、この子だけはねえ」
「うむ――」
 男は俯向《うつむ》いて物を考えている様子です。
「この子のために何とかして下さいな、わたしはどうなっても構いませんけれど、坊やだけは世に出したいと思いますわ」
「それはお前に言われるまでもない」
 男は少しく癇癪《かんしゃく》に触ったらしく、
「よく日蔭者日蔭者とお前は口癖《くちぐせ》に言うが、日蔭者の拙者といるがいやになったか」
「どうしてまあ――」
 女は怨《うら》めしそうに男の横顔を見つめて、
「こうして四年越し、晴々《はればれ》と明るい世間へ出たこともなし、御近所のお内儀《かみ》さんたちが、やれ花見のお芝居のと誘って下すっても
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