をかけて手練《しゅれん》の抜打ち。
侮《あなど》り切って刀へは手をかけず、脇差の抜打ちで払った刃先《はさき》をどう潜《くぐ》ったか、旅の男は飛鳥《ひちょう》の如く逃げて行きます。竜之助は自分の腕を信じ過ぎた形になって、切り損じた瞬間に呆然《ぼうぜん》と、逃げ行く人影をみつめて立っている。
早いこと、早いこと、飛鳥といおうか、弾丸といおうか、四十八間ある万年橋の上を一足に飛び越えたか、その男の身体《からだ》はまるで宙にあるので、竜之助はその迅《はや》さにもまた気を抜かれて、追いかけることをも忘れてしまったほどでした。
脇差の切先《きっさき》を調べて見ると肉には触れている、橋の上をよくよく見ると血の滴《したた》りが小指で捺《お》したほどずつ筋《すじ》を引いてこぼれております。竜之助は右の男を斬り殺そうとまでは思わなかったが、斬ろうと思うた程度よりも斬り得なかったことが、よほど心外であるらしく、歯咬《はが》みをして我家の方《かた》をさして行くと、邸のあたりが非常に混雑して提灯《ちょうちん》が右往左往《うおうさおう》に飛びます。
「あ、若先生、大変でござります、賊が入りました」
「賊が?
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