ばら》くして与八は、一人の女を荒々しく横抱きにして、ハッハッと大息を吐いて、竜之助の前に立っています。与八に抱《かか》えられている女は、さっき兄のためと言って竜之助を説きに来た宇津木のお浜であります。

 それからまた程経《ほどへ》て、河沿いの間道《かんどう》を、たった一人で竜之助が帰る時分に月が出ました。

 竜之助が万年橋の詰《つめ》のところまで来かかると、ふと摺違《すれちが》ったのが六郷下《ろくごうくだ》りの筏師《いかだし》とも見える、旅の装《よそお》いをした男で、振分けの荷を肩に、何か鼻歌をうたいながらやって来ましたが、竜之助の姿を見て、ちょっと驚いたふうで、やがて丁寧《ていねい》に頭を下げて、
「静かな晩景《ばんげ》でござりやす」
 竜之助はやり過ごした旅人を見送っていたが、
「少し待て」
「へい」
「お前はどこから来た」
「へい、氷川《ひかわ》の方から」
「氷川? 氷川の何というものだ、名は……」
「へい、七兵衛と申します筏師で」
「待て、待てと申すに」
「何ぞ御用で……」
 立ち止まるかと思うとかの男は身を飜《ひるがえ》して逃げようとするのを、竜之助は脇差《わきざし》に手
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