ものごころ》を覚えた頃になって、村の子供に「拾いっ子、拾いっ子」と言って苛《いじ》められるのを辛《つら》がって、この水車小屋へばかり遊びに来ました。その時分、水車番には老人が一人いた、与八はその老人が死んだ時はたしか十二三で、そのあとを嗣《つ》いで水車番になったのです。
 与八の取柄《とりえ》といっては馬鹿正直と馬鹿力です。与八の力は十二三からようやく現われてきて、十五になった時は大人の三人前の力をやすやすと出します。十八になった今日では与八の力は底が知れないといわれている。荷車が道路へメリ込んだ時、筏《いかだ》が岩と岩との間へはさまった時、そういう時が与八の天下で、すぐさま人が飛んで来ます。
「与八、米の飯を食わせるから手を貸してくれやい」
「うん」
 そして、大八車でも杉の大筏でも、ひとたび与八が手をかければ、苦もなく解放される。お礼心に銭《ぜに》などを出しても与八は有難《ありがた》がらない、米の飯を食わせれば限りなく悦《よろこ》ぶ、それに鮭《さけ》の切身でもつけてやろうものなら一かたげ[#「かたげ」に傍点]に三升ぐらいはペロリと平《たいら》げてしまいます。米の飯を食わせなくても、
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