「へえ、今……」
 やや狼狽の体《てい》。やがて中からガラリと戸が開かれると、面《かお》は子供のようで、形は牛のように肥《ふと》った若者です。
「与八、お前に少し頼みがあって、お前の力を借りに来た」
「へえ」
 この若者は、竜之助を見ると竦《すく》んでしまうのが癖《くせ》です。
「与八、お前は力があるな、もっとこっちへ寄れ」
 耳に口をつけて何をか囁《ささや》くと、与八は慄《ふる》え上って返事ができない。
「いやか」
「だって若先生」
「いやか――」
 竜之助から圧迫されて、
「だって若先生」
 与八は歯の根が合わない。
「俺《おれ》をお斬りなさる気かえ」
「いやか――」
「行きます」
「行くか」
「行きます」
「よし、ここに縄もある、手拭もある、しっかり[#「しっかり」に傍点]やれ、やりそこなうな」

         七

 竜之助の父|弾正《だんじょう》が江戸から帰る時に、青梅近くの山林の中で子供の泣き声がするから、伴《とも》の者に拾わせて見ると丸々と肥った当歳児であった、それを抱き帰って養い育てたのがすなわち今日の与八であります。与八という名もその時につけられたのですが、物心《
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