い、人情知らずと申すもの……」
涙をたたえた怨《うら》みの眼に、じっとお浜は竜之助の面《おもて》を見やります。
竜之助の細くて底に白い光のある眼にぶつかった時に、蒼白かった竜之助の顔にパッと一抹《いちまつ》の血が通うと見えましたが、それも束《つか》の間《ま》で、もとの通り蒼白い色に戻ると、膝を少し進めて、
「これお浜どの、人情知らずとは近ごろ意外の御一言、物に譬《たと》うれば我等が武術の道は女の操《みさお》と同じこと、たとえ親兄弟のためなりとて操を破るは女の道でござるまい。いかなる人の頼みを受くるとも、勝負を譲るは武術の道に欠けたること」
「それとても親兄弟の生命《いのち》にかかわる時は……」
「その時には女の操を破ってよいか」
六
宇津木の妹を送り出したのは夕陽《ゆうひ》が御岳山の裏に落ちた時分です。しばらくして竜之助の姿を、万年橋の下、多摩川の岸の水車小屋の前で見ることができました。
「与八! 与八!」
夜は水車が廻りません、中はひっそりとして鼠の逃げる音、微《かす》かな燈火《ともしび》の光。
「誰だい」
まだるい返事。
「竜之助だ、ここをあけろ」
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