士道の情けとやらで、花を持たして帰すべきはずの竜之助の立場でありましょう。ところが、蒼白《あおじろ》い面《かお》がいよいよ蒼白く見えるばかりで、
「お浜どのとやら、そなた様を文之丞殿お妹御と知るは今日《こんにち》が初めながら、兄を思い家を思う御心底、感じ入りました。されど、武道の試合はまた格別」
格別! と言い切って、口をまた固く結んだその余音《よいん》が何物を以ても動かせない強さに響きましたので、いまさらに女は狼狽《ろうばい》して、
「左様《さよう》ならば、あの、お聞入れは……」
声もはずむのを、竜之助は物の数ともせぬらしく、
「剣を取って向う時は、親もなく子もなく、弟子も師匠もない、入魂《じっこん》の友達とても、試合とあれば不倶戴天《ふぐたいてん》の敵と心得て立合う、それがこの竜之助の武道の覚悟でござる」
竜之助はこういう一刻《いっこく》なことを平気で言ってのける、これは今日に限ったことではない、常々この覚悟で稽古もし試合もしているのですから、竜之助にとっては、あたりまえの言葉をあたりまえに言い出したに過ぎないが、女は戦慄《みぶるい》するほどに怖れたので、
「それはあまりお強
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