《るす》……」
 女はハタと当惑したらしく、
「左様ならば、いつごろお帰りでございましょうか」
「さればさ、うちの若先生のことでござるから、いつ帰るとお請合《うけあ》いも致し兼ぬるで……」
「遅くとも今宵《こよい》はお帰りでございましょう」
「それがその、今申す通り、いつ帰るとお請合いを致し兼ぬるが、次第によりては拙者ども御用向を承り置きまして」
 安藤と来客の若い婦人との問答を道場の連中は面白がって洩《も》れ聞いておりましたが、
「若先生に直談判《じかだんぱん》というて美しい女子《おなご》が乗り込んで来た、前代未聞《ぜんだいみもん》の道場荒し」
「見届けて参りましょうか」
 自《みずか》ら薦《すす》めて斥候《ものみ》の役を承ろうとする者がある。
「賛成賛成、裏口から廻って見て参られい」
 ますます御苦労さまな話で、まもなくあたふたと走《は》せ戻《もど》って、
「見届けて参りました、確《たし》かに見届けて参りました」
 息を切っての御注進《ごちゅうしん》です。
「どのような女子じゃ」
「あれは和田の宇津木文之丞様の奥様でござりまする、しかも評判の美人で……」
「ナニ、和田の宇津木の細君
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