近く寄って見て、
「おやおや、人が斬られている!」
 少女を掻き分け死骸《しがい》へ手をかけ、その斬口《きりくち》を検《しら》べて見て、
「よく斬ったなあ、これだけの腕前をもってる奴《やつ》が、またなんだってこんな年寄を手にかけたろう」
 旅人は歎息して何をか暫らく思案していたが、やがて少女を慰め励まして、ハキハキと老爺の屍骸を押片づけ、少女を自分の背に負うて、七ツ下《さが》りの陽《ひ》を後ろにし、大菩薩峠をずんずんと武州路の方へ下りて行きます。

         四

 大菩薩峠を下りて東へ十二三里、武州の御岳山《みたけさん》と多摩川を隔てて向き合ったところに、柚《ゆず》のよく実る沢井という村があります。この村へ入ると誰の眼にもつくのは、山を負うて、冠木門《かぶきもん》の左右に長蛇《ちょうだ》の如く走る白壁に黒い腰をつけた塀《へい》と、それを越した入母屋風《いりもやふう》の大屋根であって、これが机竜之助《つくえりゅうのすけ》の邸宅であります。
 机の家は相馬《そうま》の系統を引き、名に聞えた家柄であるが、それよりもいま世間に知られているのは、門を入ると左手に、九歩と五歩とに建てられ
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