着いて、じっと眼をつぶって、さながら定《じょう》に入《い》ったように見える人物。左右に並んだ弟子たちが十余人、いま場《じょう》の真中で行われつつある稽古ぶりを見ている熱心さ。
 竜之助はこの緊張した道場内の空気、先生の態度、弟子の作法を見て、おのずから他の町道場と選を異《こと》にするものあるを知って、はてこの道場の主は何者であろう、どれほどの手腕がある人であろうと再び主座の方を見ると、その人物がちらりと自分の方、武者窓のあたりに眼をつけたと見えた時、竜之助はなんとなくまぶしい感じがしました。
 いま道場の真中で行われつつある稽古か試合か、一方はすぐれて大兵《だいひょう》な男、一方はまだ十五六の少年。大兵の男の朱胴《しゅどう》はまだ新しく燃え立つばかりに見えるのが、竹刀は中段にとって、気合は柄《がら》に相応してなかなか凄《すさ》まじいものです。相対した少年は質素な竹の胴に、これも同じく中段に構えているが、釣合いが妙ですから上段と下段くらいのうつりに見えます。
 主人の位を見た竜之助は、この立合もまた興味を以て見はじめました。
「エーイ!」
 大の男が鋭い気合と共に、
「足!」
 足を覘《ねら》うは柳剛流《りゅうごうりゅう》に限る。少年は真影流《しんかげりゅう》に見る人の形。
「他流試合か」
 竜之助がこう呟《つぶや》いた時、少年はちょっと板の間を蹴《け》るようにして左の足をはずして、飛び込んで、
「胴!」
 主座の人はなんとも合図なし。両人は分れて、またも同じく中段の構えです。
 竜之助はかの大兵《だいひょう》の男よりは、この少年に眼をつけざるを得なかった、というのは、あとの「すくい胴」はとにかく、前の足をはずす巧妙さ、自分にも覚えがあるが、柳剛流の足は難物《なんぶつ》で、これをはずすは一流の達人でも難《かた》しとするところ、それをこの少年は平然としてその足をはずして直ちに腹へ行く余裕がある。
「これは出来る」
 竜之助はひとり感歎しつつ一倍の興味に誘われていると――
 大兵の男は上段に取って、ウナリを生ずるほどの竹刀に押しかぶせて少年の面上へ打ち下ろす、それを左へ払って面へ打ち返したがそれは不幸にして届かなかった。盛り返した大兵は呼吸をはかって突きを入れる、一歩進んでそれをはずした少年は、またしてもかいくぐって胴、これは届いたけれども浅かった。
 とにもかくにも二本まで腹へ触《さわ》られて大兵の男は苛《いらだ》って、面《めん》、籠手《こて》、腹のきらいなく盛んな気合で畳みかけ畳みかけ、透間《すきま》もなく攻め立てる。竜之助は大兵の男の荒っぽい剣術ぶりを笑止《しょうし》がって見ているうちに、少年は右へ左へ前へ後ろへ、ほどよく綾《あや》なす手練《しゅれん》と身の軽さ。そのうちになんと隙《すき》を見出したか、
「突き!」
 細い、爽《さわ》やかな少年の声は道場の板の間を矢の如く走ると見れば憐《あわ》れむべし、大兵の男は板の間も砕くる響きを立ててそこに尻餅《しりもち》をついて、鳥羽絵《とばえ》にあるような恰好《かっこう》をして見せたので、並み居る連中は吹き出しそうなのを、主座の方に気兼ねをしてやっとの我慢です。
 机竜之助は久しぶりで心地《ここち》よい見物をしたと、その瞬間には今朝よりの不愉快なこともすっかり忘れ去って、少年の手並《てなみ》の鮮《あざや》かなのに感心をすると共に、自分はいかに、我が手腕《うで》の程はいかにという自負心が勃然《ぼつねん》として頭を上げ来《きた》ったのです。
 思えば四年以前、御岳山上で試合をしたことの以来、試合らしい試合をしたことがない、日蔭者の身で平侍《ひらざむらい》や足軽《あしがる》どもを相手に腕を腐らせていたのみで、退くとも進むはずはあるまいが、さりとて世間並みの剣客や師範に劣ろうとは思わない、ここの先生はどれほどの人か知らん、とにかく今の少年と一手を争い、次にこの先生のお手の中《うち》を拝見するも一興であろうと、竜之助は矢《や》も楯《たて》もたまらなくなりました。

         二十四

 改めて玄関から案内を乞うて道場内へと入りました。
 主座の先生はちらと、入り来る竜之助の姿を見たばかり。竜之助は門人に導かれてその人の前に跪《ひざまず》き、
「拙者事《せっしゃこと》は江川太郎左衛門の配下にて吉田竜太郎と申す未熟者《みじゅくもの》」
 竜之助は我が名を表向き名乗る場合には、それ以来、吉田竜太郎の名を以てします。
「拙者は島田虎之助でござる」
 この一語、さすがの机竜之助をして胴震《どうぶる》いをさせるほどに驚かせました。
 名にし負《お》う島田虎之助とはこの人のことであったか、父の弾正が剣術の話といえば必ずこの人の名を呼ぶ、父の弾正は当時この人でなければ剣術はないように言う。
 竜之助はそ
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