廻る下級の長脇差《ながわきざし》、胡麻《ごま》の蠅《はえ》もやれば追剥《おいはぎ》も稼《かせ》ごうという程度の連中で、今、中に取捲いて脅《おど》しているのは、これは十二三になる侍《さむらい》の子と覚《おぼ》しき風采《ふうさい》で、道のまん中に坐り込んだまま、刀の柄《つか》に手をかけて寄らば斬らんと身構えてはいるが、見たところ疲れきって痛々しいばかりです。
「ああわかった、お前たちはなんだな、この子を捉《つか》めえて追剥をすべえというのだな。そんならよした方がいい、人の物を取るのはよくねえだからな」
 悪者どもは吹き出したくなるくらいです。何となれば間《ま》の抜けた面《つら》をこの難場《なんば》へぬっと突き出して、後ろを見れば地蔵様が馬上ゆたかに立たせ給うのである、ばかばかしくて喧嘩にもならない。
「さきほどより申す通り、わしは大事を控えた身なれば、ここにありたけの金子《きんす》をそちたちに遣《つか》わすゆえ見のがせと事を分けて申すに、強《た》って衣類腰の物まで欲しいとならば是非もないから刀を抜く」
 少年は坐りながら、涙ぐんだ眼に彼等を睨《にら》めてキッパリと言う。
「その大小が金目《かねめ》と睨んだのだ、たかの知れたお前たちの小遣銭なんぞに目はくれねえ。よ、痛い目をしねえうちに投げ出しちめえねえ。お前がいくら光るものをひねくったって、こっちは甲州筋で鳴らした兄《にい》さんたち五人のお揃いだ、素直《すなお》に渡して鼻でも拭いて行きねえ」
 手に持った棒を少年の頭の上で振る、一人は手を伸ばして少年の抱えた刀を奪い取ろうと、うつむいた浮腰《うきごし》を横の方から、ひょいと突き飛ばしたのが与八です。
「よくねえことをしやがる」
 悪者の一人は茄子《なす》をころがしたようにのめると、
「この野郎」
 馬鹿と見た馬方が意外の腕立て。

         十九

 与八の力は底知れずですから、悪者どもを手もなく追い払ってしまいました。
 それから与八は少年の傍《そば》へ寄って来て、
「どうだお前様、あぶねえところだったな」
「おかげで助かりました、お礼を申します」
「お前様一人で来なすったのかえ」
「一人で」
「どこから」
「江戸から……」
「お江戸から……そうしてどこへ行きなさるだ」
「青梅の先まで」
「青梅の先……俺も青梅の方へ行くだ、一緒に行くべえ」
「それでは……」
 少年は坐っていたのを、刀を杖《つえ》に立ち上ろうとしたが、よろよろと足が定まりませぬ。そのはず、今朝江戸を出て来たものとすれば、子供の足で七里の道、足が腫《は》れ上って動けないらしい、そこを悪者どもに脅《おびやか》されたものと見えます。それでも我慢《がまん》して、痛いとも疲れたともいわず、与八と連れ立って歩こうとする、その痛々しさは与八も気がつかずにはいられなかったので、
「お前様、足が大分|草臥《くたび》れたようだなあ、待てよ……」
 与八は馬の背中を見上げて、首を傾《かた》げることしばし、
「こうと、荷物はいくらでもねえが、地蔵様を横っちょの方へお廻し申しては勿体《もったい》ないし――お地蔵様と相乗りというわけにもゆくめえし」
 腕を組んでお地蔵様と首っ引きに頻《しき》りに考えていましたが、
「おおそうだ、そうだ」
 にわかに両手を拍《う》って、馬に近寄って、背中に安置した地蔵尊の木像を怖《おそ》る怖る取り下ろし、それを有合せの細帯で後ろへ廻し、子供をおぶうと同じことに自分の背中へ結びつけて、
「これでよし、さあお前様、この馬へ乗っておいでなさい、なに、遠慮しなくてもいいだ、その足で歩けるもんでねえ」
 少年は心から有難そうに、すすめられるままに馬上に跨《また》がります。
 与八はお地蔵様をおぶったまま、手綱を取り上げて馬を引きだす。その恰好《かっこう》のおかしさ。それでも当人はいっこう平気で、
「お前様はお侍様の子供のようだが、青梅はどこまでござらっしゃるかね」
 朝の靄《もや》がすっかり晴れて、雲雀《ひばり》は高く舞い、林から畑、畑から遠く農家の屋根、それから木々の絶え間には、試合のあった御岳山あたりの山々が、いま眠りから醒《さ》めたように遥々《ようよう》として見え渡ります。
「和田というところへ行きます」
「和田へ……」
「和田の宇津木というところまで」
「和田の宇津木様?」
 与八は歩きながら、思わず少年の面《かお》を見上げて、
「宇津木様へ……そりゃお前様の御親類でもあるのかえ」
「宇津木は、わしの実家《うち》じゃ」
「お前様の実家……それではお前様は、文之丞様の弟さんかえ」
「弟の兵馬《ひょうま》という者です」
「ああそうでございましたかい、そうとはちっとも知らなかった」
 この少年こそ、宇津木文之丞の実の弟の兵馬であったのです。
 兵馬は幼少の頃か
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